新選組のまち 壬生(京都市中京区) | 三日月の館

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場所 京都市中京区壬生梛ノ宮町

 

新選組が結成され、最初に屯所を置いたところです。

 

最寄駅は、阪急京都線四条大宮駅です。
只今、「新選組のまち」として売り出し中です。

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大宮通を南下。
一筋目の綾小路通を右折し西進すると、北側に光縁寺があります。

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山門前には、「新選組の墓」と書かれた石碑が建っています。
光縁寺の本堂裏手の墓地には、山南敬介、河合耆三郎、大石造酒蔵らの墓がある。
山門を入り受付で志納金100円を納めると、ご住職が親切に説明してくださり、案内書がいただけるそうです。
(知らなかったので素通りしてしまった。)
また、同寺の向かいには、新選組の馬小屋があった。

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さらに西へ進む。
壬生川通を越えてすぐ南側にある「本所酒店」。

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新選組ブランドの酒がズラリ。
手書きの案内図に温かみを感じます。
つい、買ってしまいそうになる。
(お酒が好きだったら買っていただろう。)

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綾小路通が坊城通に突き当る角にあるのが前川邸。
八木邸とともに初めの屯所となった所であり、浪士密会の池田屋古高俊太郎拷問により問い質した所としても有名。

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残念ながら一般公開されていない。
中はこんな感じだったらしい。

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少しだけ覗いてみました。

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現在は、田野製袋所という工場になっています。
観光客の為に僅かながらのサービス。
仕事中にお邪魔してスミマセンでした。

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突き当りの幸福堂の前に道標が建つ。
「左 壬生寺 右 二条城」
左へ曲がる。

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松本陶器舗。
ここも新選組が目立つ。

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そして南隣りが八木邸。
文久3年(1863)2月~慶応元年(1865)4月までの約2年間、この地を屯所とした。

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説明板。

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【新選組発祥の地(八木家)】

ここは, 幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の屯所があったところである。
文久3年(1863)春、第十四代将軍、徳川家茂の上洛警護のため、清河八郎率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の一つとして使われたのが、当時壬生村の郷士宅であった八木家の屋敷であった。
清河ら浪士組のほとんどは、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保(会津藩主)の配下に属して新選組と名のった。
当初新選組は、当屋敷に「新選組屯所」の標札を掲げ、隊員は僅か十数人であったが、次第に隊士が増え付近の屋敷にも分宿した。
以後、市中の治安維持に勤め、元治元年(1864)の池田屋事件では、クーデターを起こそうとしていた過激な長州藩士らの一派の計画を未然に防ぎ、一躍その名を洛中に轟かせた。
翌年の慶応元年(1865)4月、新選組屯所は西本願寺に移され、翌年には更に南の不動堂村(京都駅北西)に移り、鳥羽・伏見の戦いの直前には伏見奉行所に入った。

京都市

 

入り口には「新選組遺蹟」の碑。

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その奥に「新撰組屯所遺蹟」の碑。

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中に入りたかったのですが…
拝観料1,000円に足が止まってしまった。

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屋敷内には芹沢鴨らが暗殺された部屋があり、その時の刀痕が鴨居と柱に生々しく残っているそうで、見たかったのですが。
茶菓子付きとは言え、ちょっと高い。

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南隣りの壬生寺へ。

 

所在地  京都市中京区坊城通仏光寺上ル
山号   なし
宗派   律宗
本尊   地蔵菩薩
創建   正暦2年(991)
開基   快賢

 

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境内案内図。

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山門を入ると、脇に一夜天神が鎮座。

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夜啼き地蔵。

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手水舎は蓋がしてあった。

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説明板。

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【壬生寺】

律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像(重要文化)である。
寺伝によれば、正歴2年(991)三井寺の快賢僧都により創建され、古名を地蔵院、宝幢三昧寺などと呼ばれていた。
その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平(たいらのまさひら)により復興され、さらに正安2年(1300)円覚上人が、仏の教えを無言劇に仕組んだ、壬生狂言(重要無形民俗文化財)を創始し大いに栄えた。
昭和37年に本堂が焼失したため、昭和45年に再建された。
また、境内北にある壬生狂言を演じる舞台、大念仏堂(重要文化財)は、安政3年(1856)の特異な建造物である。
当寺境内は、新選組が大砲や剣術・馬術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨らの墓塔がある。
池田屋騒動があったと言われる7月16日には、毎年、慰霊供養祭が行われる。

京都市

 

塔頭の中院。
洛陽三十三所観音霊場札所。

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本堂でお参り。
京都で南都六宗の一つである律宗は珍しい。
本尊の地蔵菩薩は国の重要文化財。

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本堂南側の千体仏塔。

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説明板。

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境内の北側には壬生寺会館がある。
1階は保育園になっている。
裏には国の重要文化財狂言堂がある。
ここで、節分、4月、10月の年3回、国の重要無形民俗文化財である壬生狂言が行われる。
丁度期間中だったが時間無く見れず。
事前に調べて来れば良かったと後悔。

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最後に阿弥陀堂。

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説明板。

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ここから有料。
中に壬生塚がある。

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①龍神像

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③あゝ新選組の歌碑

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壬生寺歴代住職供養塔が建ち並ぶ参道。

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⑪新選組顕彰碑

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⑤人丸塚

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⑨近藤勇胸像

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左⑥芹沢鴨と平山五郎の墓
右⑦隊士7名の合祀墓

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壬生寺を後にしました。

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『龍馬伝』ブームの中、新撰組一色の壬生でした。

 

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