登城日 3回目 2010年 2月 6日(土)晴
難易度 ☆
場所 愛知県清須市清洲・鍋片
前回清洲城へ行った時に疑問に思った、名鉄名古屋本線「丸ノ内駅」の名の由来を確認しに、未訪問となった外堀遺構と共に見に行ってきました。
まず、名古屋城三の丸にある愛知県図書館(ここのHPは古地図が充実していて素晴らしいです。最近良くお世話になっています。)にて情報収集。
最寄駅は市営地下鉄「丸の内駅」です。
丸の内駅北改札口を出たところに、名古屋城の絵がありました。
素晴らしい!
愛知県図書館で、愛知県の事に詳しい歴史エリアさんからの情報に基づき資料収集。
そして、「丸の内駅」から「丸ノ内」駅へ向かう。
(ややこしいなぁ~)
普通しか停まらない閑散とした駅ですが、かつては名鉄清洲線が分岐する駅だった。
何で「丸ノ内駅」なんだろう?
清洲城からだいぶ離れているのに…
愛知県図書館にあった各駅地名解(名古屋鉄道の巻)を読むと、丸ノ内という地名から来ているそうだ。
この駅の付近は外堀のあったところで、その内側ということのようだ。
確かに「愛知県中世城館跡調査報告書Ⅰ(尾張地区)」によると、地籍図に外堀の遺構らしきものが見え、また虎口のところが「字丸ノ内」となっている。
行ってみる。
駅のすぐ西側にある丸之内郵便局。
ここが字丸ノ内で、かつて虎口があったところのようだ。
(「丸ノ内」が「丸之内」になっていてさらにややこしい。)
外堀はさらに西へ。
土手から見る。
地籍図から推測すると、土蔵の左側と右側付近に外堀があったのでは。
ここから西側は五条川に分断されて消滅している。
南にある神明社。
そこには外町と書いてあった。
外堀の外という意味だろう。
地籍図とも一致する。
再び丸ノ内虎口付近へ戻る。
ここは北から来た美濃路がクランク状になっているところである。
これも地籍図と一致する。
美濃路は一旦東へ。
<垂井 美濃路 熱田>
と書いてある。
ここは先ほど紹介した丸之内郵便局の前。
何となく風情が残る。
美濃路はまた南に向かって直角に折れ、熱田まで続いている。
丸之内郵便局前の駐車場の北側。
やや凹んでいる。
外堀の跡かな?
外堀は線路を渡って東へ。
線路を渡ったところにある空き地。
若干窪んでいる。
外堀跡かな?
このあたりは字土居と云われるところ。
外堀はさらに東へ。
このあたりは住居表示で鍋片と云われるところ。
鍋片公民館前の神社跡。
かつて松蔭神社がありました。
伊勢湾台風の被害で荒廃してしまったらしい。
石碑が建っています。
そして、この神社が建っていたところは、清洲城外堀の土塁の跡です。
そのことを示す石碑が建っていました。
場所はここです。
土塁跡から東を見る。
ここしか残っていなかったです。
さらに東へ行ってみる。
土塁跡を振り返る。
地籍図によると、天王公園のあたりには虎口があったようだ。
若干窪んでいる。
寺野にある八劔社。
ここの手前の土地は高くなっている。
土塁の跡だろうか?
八劔社の裏にある寺野公民館前に建っている土地改良完工記念碑。
残念ながら土地改良事業によって外堀跡は解らなくなってしまった。
この碑の裏側に、当地区が清洲城外堀跡であることを示す文言が書いてありました。
ここから外堀は直角に曲がり北へ向かう。
遠くに清洲城模擬天守が見えた。
清洲城がいかに大きな城だったかが解りました。
だから、かなり離れているのに「丸ノ内」なんですね。
日没間近でしたし、時々雪が散らつき寒かったので、今回はここで断念しました。
丸ノ内駅にあった住宅地図。
内堀とか屋敷とか、それらしい小字名が残っているんですね。
もっと歩いてみたかったです。
最後に、丸ノ内駅の一つ名古屋寄りの駅である須ヶ口駅。
各駅地名解(名古屋鉄道の巻)によると、清須の口の意味だそうです。
また一つ収穫がありました。
(おまけ)
お決まりのマンホール。
旧新川町のマンホールのデザインだそうです。
やがて無くなってしまう貴重なマンホールかも。