143 美濃金山城 その1(美濃国) | 三日月の館

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登城日 2004年12月12日(日)晴
難易度 ☆☆
場所   岐阜県可児市兼山字古城山1418番211

 

日本100名城の太田金山城と同じ名前ですが、こちらは織田信長の時代に森氏の居城だったことで知られる。
美濃金山城のある兼山町へは、かつて名鉄八百津線が走っていましたが、2001年に廃止されてしまったので、名鉄広見線明智駅からバスで行くしかありません。
(当時はまだ廃線跡やホームが残っていました。今はどうなっているだろう?)

【美濃金山城の歴史】

 天文6年(1537)に尾張国侵攻のため斎藤道三の命令で猶子の斎藤正義が築城し、烏峰城と名付けられた。

しかし正義は、天文17年(1548)に近くの久々利城主の土岐悪五郎に討たれ、城主が不在となった。

その後織田信長が美濃国を領土とした事にともない、永禄8年(1565)に家臣の森可成が城主となり金山城と改称した。

1570年に近江坂本の戦いで可成が戦死し、その直前に長男の可隆も手筒山城で討ち死にしたため、次男の長可が跡を継ぎ城主となった。

長可が天正10年(1582)に信濃国川中島に転封されると弟の森成利が入るが成利は同年中に本能寺の変により討死し、また長可も情勢不安の川中島を捨てて戻って来た為、再び長可の領地となる。

天正12年(1584)に長可が小牧・長久手の戦いで戦死すると、可成の六男の忠政が城主となる。

慶長5年(1600)に森氏が川中島藩に転封されると城は石川貞清のものとなり、建物は解体され石川氏の居城である犬山城の改修に使われたという。

なお、かつては金山城の天守が犬山城に移築されたとの説があったが、そのような痕跡はないことが近年の調査でわかった。

 (wikipediaより)

 

森可成については、宇佐山城でも紹介しています。
その後、森忠政は津山城主となった。
津山城については、下記で紹介しています。
その1 その2 その3

 

美濃金山城縄張図。
(中世城郭事典より・転載不可)

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まずは、出丸。

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説明板を撮って無かった。
何やってるんだろう。

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石垣が良く残っている。

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素晴らしい。

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反対から見る。

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本丸を目指す。
三の丸門跡。

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三の丸石垣。

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水の手。

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二の丸跡。

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二の丸物見櫓跡。

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大手桝形跡。

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大手門土台石。
大きな大手門があったのだろう。

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本丸には天守閣が建っていた。
天守台西南隅石。

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天守台北東面。

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天守台の様子。

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天守付櫓の穴蔵。

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金山城本丸東側の堀切。

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搦手門の礎石。

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当時は行くのに精一杯で、良く見ずに帰って来てしまった。
写真はこれだけ。
行くことが大変なので、もったいなかった。
また行きたいなぁ~