登城日 2005年12月25日(日)晴
難易度 ☆
場所 三重県津市丸之内
津は、世界一発音の短い地名・駅名だそうです。
英語ではTsuで3文字ですが、ギネスには「z(ツ)」で登録されているのだとか。
津城へは、津駅では無く、近鉄名古屋線津新町駅が最寄駅です。
【津城の歴史】
織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。
以後、津は城下町として発展してきました。
本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、 低湿地ながら防御には堅固な城でした。
その後、藤堂高虎公が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。
また、城の周囲に武家屋敷をつくる一方で、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて、 伊予町をつくりました。
さらに高虎公は、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。
2代藩主高次公はそれをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えてきました。
明治になっても町はほとんど旧城下町のままでしたが、明治の終わり頃になって外堀が埋められ、 新しい道や町が作られるようになってきました。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。
(津市観光協会HPより) >
津城現地説明板。
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西の丸の桝形虎口。

内堀は一部しか残っていない。

西の丸の南西隅には玉櫓が建っていた。

北から見る。
藤堂高虎の築城術の特徴である犬走りがある。

西の丸北面。

西の丸には藩校の門が移築現存している。

説明板。
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枡形南側の石垣。

桝形北側の石垣。

西の丸から見た戌亥櫓跡。

内堀から見た戌亥櫓跡。

戌亥櫓跡。

戌亥櫓跡から見た西の丸。

戌亥櫓跡を西から見る。

本丸北面。

丑寅櫓跡。

丑寅櫓跡から本丸北面を見る。

本丸東面。
東鉄門跡に模擬隅櫓が建てられた。

模擬隅櫓を東鉄門桝形から見る。

近づいてみる。

東鉄門跡から本丸へ入りながら模擬隅櫓を見上げる。

史実に忠実な方が良かったなぁ~

丑寅櫓付近から見た模擬隅櫓。

本丸北側の石垣を城内から見る。

説明板。
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藤堂高虎像。

こんどは本丸の南側へ。
天守台を本丸から見る。
五層の天守閣が建っていた。

天守台を西から見る。

内堀跡と西の丸南面を見る。

本丸南面石垣。

本丸埋門跡。

埋門跡から見た天守台。

埋門跡から本丸南面を見る。

結構残っている方だが、いまひとつといった感じでした。