登城日 2005年11月27日(日)曇
難易度 ☆☆
場所 岡山県高梁市成羽町
いつの間にか成羽町は高梁市になっていた。
地元では山崎氏御殿跡となっている。
また、成羽城とも呼ばれる。
成羽陣屋へは、備中高梁駅からバスで行きます。
途中、山中鹿之助の墓がありますが、バスの本数が少なく途中下車出来なかったのが残念。
成羽川対岸から見る。
鶴首山の山麓にある。
鶴首山には、戦国時代に備中を支配した三村氏の鶴首城があった。
山麓には居館があり、成羽陣屋はこの居館跡に造られた。

【成羽陣屋の概要】
山崎氏五千石の御殿跡で鶴首城址のある鶴首山の山麓に北向きに築造されている。
山崎氏は畑本ではあるが交代寄合という大名待遇をうけ、参勤交代をしていた。
万治元年(1658)成羽領主として丸亀から移封、後期山崎初代となった山崎豊治がお国入りし直ちに御殿造営と陣屋町の構築に精魂をかたむけ完成さす。
大きな石を使って築いた石垣と広々とした敷地による居館である。
御殿は巨大な石垣に囲まれ正面に御庫門・大手門・作事門の三つの門跡があり、屋敷内はお庫・書院・お作事場の三区割になっており、外側は外園・下馬場・お濠がめぐらされている。
お庫のある場所は水谷勝隆が築造したものであるが、備中松山城に移ったため、山崎豊治が築営したもので石垣の積み方から築造の推移を知ることが出来る。
新旧二様になっている。 勝隆の築造したところは「野面積み」になっており、豊治の築造したところは「打ち込みはぎの扇の勾配」に近い積み方となっている(お庫門と大手門の間から東の部分の石垣)。
石垣の高さは高いところは390cmあり、大手門付近は360cmである。
お庫(成羽小学校)の旧石垣の上の土塀の内部を一段下げ約100mにわたって武者走を設けている。
土塀には狭間(銃眼)があったが現在はぬりつぶされて見られない。
新石垣の上は幅が広く(280cm)土塀の内側がそのまま武者走となっている。
御殿は東西に約276m南北に広いところは約90m、御殿の裏に(南側)幅約390cmのお濠がある。
広大な規模をもったこの御殿跡は諸侯におとらぬもので山崎氏の力の偉大さを物語っている。
明治維新により御殿は県庁となる。
現在はお庫跡に成羽小学校、書院等跡池西側に成羽町役場、お作事場と書院等東側は運動場となっている。
(成羽町の文化財より)
成羽川に架かる総門橋を渡る。
総門があったのだろう。

石垣が見られました。

総門の石垣かな?

大手門が見えました。

説明板。
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大手門。

大手門は枡形だった。
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大手門を御下馬から見る。
ちょっと指が写ってしまった
ハズカシイ。

御作事門。

的場から御作事門を見る。

今度は西に行って武者走りのある石垣を見る。
土塀の銃眼はやはりぬりつぶされていた。

別角度から。

ここの石垣が一番高い。

裏の武者走り。

説明板。
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御庫門。

成羽陣屋の西側にあるはす池。
外園跡。

裏にも石垣が廻っていた。
道路は濠跡のようだ。

陣屋にしては本当に立派な石垣。

天気が悪かったので、鶴首城へは登れなかった。
(おまけ)
城下の武家屋敷街。
石垣が立派。

土塀もいい感じで残っていました。

近くにはべんがらで有名な吹屋村があります。
備中松山城再訪時にまた来ようと思う。