登城日 2003年11月 2日(日)晴
難易度 ☆
場所 新潟県上越市本城町
高田城は、越後60万石の居城です。
春日山城から近いです。
【高田城の歴史】
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。
城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。
約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。
すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。
低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。
天守はなく、1614年に3重3階の三階櫓を建てて天守の代用とした。
当時の三階櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、陸軍の駐屯地として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。
本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。
(wikipediaより)
高田城絵図。
城は西側半分が良く残っている。
西堀。
蓮が繁っています。
北堀。
高田城の説明板。
本丸虎口。
本丸跡。
本丸南西隅には復興三重櫓が建てられた。
遠くからみると天守閣に見えますね。
石垣の櫓台が無いですね。
三重櫓から本城堀を見下ろす。
本城堀は良く残っている。
本丸は中学校の敷地となっている。
その他の城跡は市民の憩いの場となっていた。
街中に何かあったかも知れませんが。じっくり見る時間が無かった。
ちょっと残念。