所在地 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
山号 -
宗派 法華宗本門流
本尊 南無妙法蓮華経曼荼羅本尊
創建 応永22年(1415)
開基 日隆
山号 -
宗派 法華宗本門流
本尊 南無妙法蓮華経曼荼羅本尊
創建 応永22年(1415)
開基 日隆
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、室町時代の応永22年(1415)、京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建された。
その後紆余曲折を経て、四条西洞院・油小路・小角・錦小路にわたる地域(旧本能小学校のあたり)に広大な寺地を得て、子院も30余ヶ院を擁した大伽藍が造営された。
現在、本能寺小学校跡地の角に石碑が建っています。 平成4年(1992)に本能寺小学校は廃校となり、現在は京都市本能特別養護ルームと京都市立堀川高等学校本能学舎になっている。
その入口に本能寺小学校跡地であることの立派な石碑が建てられた。 その横にも本能寺跡の立派な石碑。 石碑の説明板を拡大。
説明板。
地図。
天正10年(1582)6月2日、ここで信長が明智光秀率いる軍勢に包囲され自刃する事件が起き(いわゆる本能寺の変)、その際、堂宇を焼失した。
天正15年(1587)豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区寺町御池下ル)へと移転した。 説明板。
もう一つの説明板。
境内には信長公廟がある。
信長公廟。
信長の墓は複数ある。
そのうちの一つ。 その説明板。 近くには、本能寺の変戦没者合祀墓がある。 境内には大名夫人等の墓もある。 その説明板。 また、戦国大名浦上氏の末裔で江戸時代の文人画家である浦上玉堂と春琴の墓もある。 その説明板。
現在の本能寺は、寺というよりホテルか何かかと間違える建物が建ち並ぶ。
場所がいいからしょうがないか。
その後紆余曲折を経て、四条西洞院・油小路・小角・錦小路にわたる地域(旧本能小学校のあたり)に広大な寺地を得て、子院も30余ヶ院を擁した大伽藍が造営された。
現在、本能寺小学校跡地の角に石碑が建っています。 平成4年(1992)に本能寺小学校は廃校となり、現在は京都市本能特別養護ルームと京都市立堀川高等学校本能学舎になっている。
その入口に本能寺小学校跡地であることの立派な石碑が建てられた。 その横にも本能寺跡の立派な石碑。 石碑の説明板を拡大。
天正15年(1587)豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区寺町御池下ル)へと移転した。 説明板。
信長の墓は複数ある。
そのうちの一つ。 その説明板。 近くには、本能寺の変戦没者合祀墓がある。 境内には大名夫人等の墓もある。 その説明板。 また、戦国大名浦上氏の末裔で江戸時代の文人画家である浦上玉堂と春琴の墓もある。 その説明板。
場所がいいからしょうがないか。
(おまけ)
境内の裏口を抜けると、河原町通に出る。
そこにあるキクオ書店。
ここで、中世城郭事典を購入しました。
他にも何かあるかも?
他にも何かあるかも?
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