瑞泉寺(京都市中京区) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

所在地  京都市中京区木屋町三条下る石屋町114-1
山号   慈舟山
宗派   浄土宗西山禅林寺派
本尊   阿弥陀如来
創建   慶長16年(1611)
開基   立空桂叔

 

かつてこの地は鴨川の中洲だった。
豊臣秀次が罪を得て切腹を命じられ、その妻妾子女30人余とともに遺骸が埋められた秀次悪逆塚(畜生塚)がつくられ、「秀次悪逆塚文禄四年七月十四日」と刻された石塔が建てられたが、鴨川の氾濫により次第に荒廃してしまった。
その後、高瀬川の開削時に再び発見され、京都の豪商で開削責任者であった角倉了以によって、秀次の菩提を弔うために、秀次の戒名「瑞泉寺殿」から名を取り、瑞泉寺を建立された。
イメージ 1
地図。
イメージ 2
説明板。
イメージ 3
豊臣秀次。
秀吉の後継者として関白まで登り詰めたが、実子秀頼が生まれると秀吉から次第に疎まれ、文禄4年(1595年)に謀反の疑いをかけられ、高野山に蟄居を命じられ、やがて切腹させられた。
イメージ 4
秀次は秀吉にとって甥にあたる。
イメージ 5

瑞泉寺本堂。
イメージ 6
境内の奥に豊臣秀次の墓石がありました。
墓石は角倉了以によって、「悪逆」の文字が削られている。
周囲を一族家臣の五輪塔が囲んでいます。
イメージ 7
寺伝。
イメージ 8
木屋町へは、夜飲み歩く時に行くくらいなので、ここに秀次の墓石があるのは気がつかなかった。
灯台下暗しですね。