和歌城 その1(下総国) | 三日月の館

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登城日 2009年 1月 2日(金)晴
難易度 ☆☆
場所  茨城県結城郡八千代町大字若字向島

 

川尻赤松氏の居城

 

茨城県の西南部に位置する八千代町には戦国時代に多賀谷氏の武将として活躍した川尻赤松氏の居城跡である和歌城と多賀谷氏の居城跡である太田城があります。
場所は八千代町役場から東へ約15分程歩いたところです。
川尻赤松氏は八千代町の川尻に土着した播州赤松氏の一族と伝承されている。嘉吉の乱の際、赤松満祐の子の一人が逃れてきたという。
その後、子孫が多賀谷氏の武将として活躍したが、多賀谷氏が結城氏に従って越前へ去った後は帰農。
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太田城から見た和歌城。
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現地にあった縄張図。
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和歌城の説明。

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本丸を東から見る。
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こんもりした茂みを境に、右が本丸、左が二の丸。
手前が三の丸。
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北側には土塁が現存する。
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堀跡と土塁。
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本丸跡には赤松祐弁の五輪塔が建っています。
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五輪塔説明。
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和歌城から歩くこと約30分の鬼怒川西岸の川尻には赤松山不動院があり、赤松祐弁の墓碑と赤松祐弁が播州から逃れてきた時に背負ってきた不動明王があったそうですが、日没で行けませんでした。
和歌城へは、常総線の下妻駅が最寄駅ですが、片道徒歩1時間の距離ですので、車が便利ですが、駐車場はありません。

 

なお、川尻赤松氏については、八千代町史(通史編)「第二編 中世」に詳しく書かれています。