63 高知城(高知県) | 三日月の館

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登城日 1回目 1992年 8月 2日(日)晴
      2回目 2008年 1月11日(金)曇時々雨
難易度 ☆
場所   高知県高知市丸の内1-2-1

 

高知城は、関ヶ原の戦い後に土佐一国を領することになった山内一豊によって現在の姿に整えられました。
かつては大高坂城(おおたかさじょう)といい、長宗我部元親も四国平定後にここを本拠にしようと城の改修を始めたが、度重なる洪水に悩まされ断念したという。
山内一豊は、築城術に通じていた百々綱家を高禄をもって招聘し、高知城を完成させた。
天守閣にあった築城の様子。
難工事だったという。

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完成後、大高坂山城は河中山城(こうちやまじょう)と改名されたが、相変わらず洪水に悩まされたため、山内氏二代藩主忠義は、河中の名を忌み嫌い、高智山城と改名した。
それが、高知の名の始まりという。
高知城へは、高知駅前から路面電車に乗って、はりまや橋で乗り換えて高知城前停留所で下車、すぐでした。
高知城の南側には水堀が残っています。

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追手門。
現存です。

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追手門の手前には山内一豊がいました。

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高知城は年末は休みです。

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高知城は天守や追手門を始め15棟の建物が現存しており、国の重要文化財に指定されています。
かつては国宝でした。

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といっても法律が変わっただけで、価値を下げるものでは無いです。
高知城案内図。
追手門からいざ入城!

杉の段へ登る階段。

板垣退助が見下ろしています。

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杉の段から見た本丸石垣。
高知は雨がたくさん降るので、石垣が崩壊しないよう排水設備として石樋(いしどい)が設けられました。
珍しい設備です。

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杉の段の千代像。
杉の段はかつて杉の大木が林立していたことから名付けられました。
一豊は城外なのに、千代は城内。
やはり千代あっての一豊ですね。

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三の丸の石垣は整備中でした。

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三の丸からみた詰門。
本丸と二の丸をつないでいます。

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二の丸へ。
二の丸から見た天守。

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詰門を抜けると、

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天守が見えました。
ここで料金を支払い、スタンプGet。

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さすが、現存天守だけあった、風情が違います。
天守閣内にあった模型。

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天守閣から見た二の丸へ至る坂。

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天守閣には本丸御殿が隣接しています。
波の欄間。太平洋に面した土佐らしいデザイン。

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天守と本丸御殿が見れる高知城は素晴らしいです。
現存なので慎重に歩きます。
やはり、同じ本丸御殿でも川越城よりも復元された佐賀城よりもいいです。
黒鉄門から下城。

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本丸を見上げる。
土塀鉄砲狭間の上に物見窓。
鉄砲狭間では視野が狭いので、このような窓を設けたとか。
高知城の特色です。

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黒鉄門から坂を下ると、獅子の段に至ります。

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獅子の段から見た本丸。
石垣が尖ってます。
獅子の段は、現在梅の段と呼ばれています。
早春はきれいなんでしょうね。

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搦手門跡。

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最後にスタンプ。

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さすが、現存。
見ごたえありです。

 

(おまけ)

 

かつおたたき弁当

 

評価 ☆

 

帰りに駅で買ったかつおのたたき弁当。

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やはり、高知に来てこれを食べなきゃ…、

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と思いましたが、正直あまりおいしくなかったです。
生モノの弁当は珍しいですが、昼に買って夜に食べたからか生臭かったです。
お店で食べた方がおいしいでしょう。