118 忍城 その4(武蔵国) | 三日月の館

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登城日 3回目 2018年 9月17日(月)晴のち曇
難易度 ☆
場所   埼玉県行田市本丸17-23

 

『のぼうの城』です。

 

羽生駅から秩父鉄道に乗って行きます。

行田市駅で下車。

埼玉県名発祥の地。

駅前の道を進むと高札場跡。

ここはもう城内。

行田商工センター。

郷土博物館の休館日は1階の「ぷらっと♪ぎょうだ」にて続日本100名城スタンプが押せます。

行田商工センターは、模型だと、北谷門の脇の曲輪が四角く突き出た所に位置する。

この方向で進んでいます。

進むと町名は本丸。

まだ本丸ではありませんが…

駅から約15分で諏訪曲輪に到着。

諏訪曲輪の南東隅。

ここには門も御三階櫓も無かった。

御三階櫓。

登る気にもならない。

移築門ではないようです。

忍城の鐘。

本来は二ノ丸にあった。

忍城説明板。

【忍城の由来】

 

忍城は文明10年(1478)頃、成田顕泰により築城された「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。
天正18年(1590)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐えこの城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。
寛永16年(1639)時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手、 孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門、土塀の修築などが完成し面目を一新したという。
文政6年(1823)伊勢の桑名から松平忠堯が移封し忠誠のとき明治維新を迎えた。
市では維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し永く後世に伝えることになった。

 

平成3年3月

行田市

 

 

郷土博物館へ。

ここは本丸。

ここで続日本100名城スタンプ28城目をGet!

模型や資料があります。

のぼうの城名所案内。

城内。

城外。

郷土博物館を出る。

何気に通り過ぎてしまうこの城門は移築城門。

櫓台の石垣。

伝進修館表門。

裏から。

表から。

本丸の残存土塁。

模型で。

本丸と諏訪曲輪との間の堀跡。

諏訪曲輪西側の残存土塁。

模型で。

かねつき堂はまた休みだった…

また食べれず。

諏訪曲輪御門跡の碑。

諏訪曲輪御門跡。

模型で。

忍城鳥瞰図。

諏訪曲輪から本丸を見る。

諏訪の大木説明板。

忍城二ノ丸時鐘楼跡付近。

南へ。

三重櫓跡の碑。

三重櫓跡。

かつてここに三重櫓が聳えていた。

模型で。

うまい、うますぎる!

C57。

向吹御門跡から武家屋敷街を大手門方面へ進む。

大手門跡へ。

大手門跡の碑。

枡形城門があった。

振り返る。

模型で。

行田商工センターの西側を進むと北谷門があった。

忍城家老鳥居強右衛門屋敷跡。

北谷門跡説明板。

模型で。

この辺り。

ここに建っていたのかな?

北谷学校跡の碑。

模型で北側から見る。

ここでワープ!

東武伊勢崎線加須駅。

手打うどんのまちだそうです。

歩くこと約30分。

不動ヶ岡不動尊総願寺。

本堂。

由来書。

ここに北谷門が移築されている。

裏から。

表から。

説明板。

現存城門は2つのみ。

門前には五家宝の老舗。

説明板。

最後にスタンプ。

かつての名城も遺構が無くなり過ぎで思いを馳せることも難しい。

残念です。

 

(おまけ)

 

東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅。

かつてここに四谷忍町があった。

町の南側。

町の東側。

町の北側。

町名を示すものはありませんでしたが、かつてここに忍藩城代の屋敷があったことに由来するそうです。