113 土浦城 その2(常陸国) | 三日月の館

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土浦警察署の南。

三の丸へ。

三の丸橋。

三の丸跡の碑。

二の丸にある市立博物館へ。

本丸櫓門の礎石。

模型。

文化14年(1817)~文政3年(1820)頃の土浦城絵図。

安政2年(1855)頃の土地利用図。

二の丸堀。

本丸堀。

本丸へ。

土塁上から本丸を見る。

西櫓。

説明板。

西櫓脇に土屋神社。

供養塔。

東櫓へ。

東櫓。

ここで続日本100名城スタンプ24城目をGet!

ごあいさつ。

土浦城の成り立ち。

土浦城の歴史。

城址整備事業について。

櫓とは。

東櫓の壁構造。

東櫓の設計と施工。

東櫓の屋根構造。

模型。

土浦城の本丸。

本丸現状図。

城下町の広がり。

江戸時代の城郭図。

土浦まつり。

土浦と水運。

水戸街道。

登っていく。

最上階の様子。

本丸を見下ろす。

土塁を見下ろす。

二の丸と外丸を見る。

多計郭を見る。

霞門の外枡形を見る。

本丸土塁。

霞門。

霞門を外から見る。

本丸堀。

外枡形から見る。

模型で。

亀井郭から本丸を見る。

本丸北隅。

三の丸への門があった。

本丸北西面。

模型で。

三の丸から引いて見る。

再び本丸。

東櫓前から西櫓を見る。(前回のもの)

本丸櫓門。

櫓門から本丸を見る。

櫓門から二の丸を見る。

二の丸から櫓門を見る。

模型で。

本丸堀。

櫓門を別角度から見る。

前回のもの。

前は両脇の土塀が無かった…

説明板。

【土浦城跡および櫓門】

県指定史跡第一号

土浦市中央1丁目

昭和27年(1952)11月18日指定

管理者土浦市

 

土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らした壕を固めとする水城でもあった。

城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規模をもつものであった。
江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。
戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。

江戸時代の城主は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平(大河内)氏と変わったが、土屋政直が再び入場して、以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。
明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに亀城公園となっている。

 

平成11年(1999)6月

土浦市教育委員会

 

亀城のシイ。

二の丸堀。

土塁があるが、往時のものかどうか?

模型で。

ギザギザだった。

反対側はこんな感じだったらしい。

櫓門を見る。

本丸の南側を見る。

二の丸の南側を見る。

本丸の東側を見る。

模型で。

亀井郭は道路に、多計郭は亀城プラザに。

本丸堀から二の丸堀への水路。

聖徳太子堂。

説明板。

旧前川口門。

土塁。

反対側。

砂利道は二の丸堀跡。

旧前川口門を外丸から見る。

説明板。

外丸。

反対側から見る。

模型で。

大手門への道。

たつみ郭があった。

模型で。

武家屋敷があった。

搦手門跡へ。

搦手門跡の碑。

模型で。

勝軍木郭にある瀧泉寺。

寺前の道は多計郭との間の堀跡。

多計郭。

左を進むと前川口跡。

前川口跡。

門は二の丸へ移築され現存。

旧水戸街道。

南門の方へ進むと中城町。

少し風情がある。

桜橋跡。

欄干の一部と道路元標。

川口河岸跡。

説明板。

疲れ果てて土浦駅に戻りました。

最後にスタンプ。

続日本100名城?

小田城とセットで納得かな。