129 龍岡城 その3(信濃国) | 三日月の館

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新海三社神社から城下町を西へ進む。

龍岡城五稜郭の展望台がある田口城登城口。

矢印に沿って進みます。

約10分かかって七合目。

岩壁が見えてきました。

開けてきたぞ。

道路と合流。

実はすでに城域で西の丸。

削平地を東へ進む。

一つ一つの曲輪が大きいなぁ~

直進すると田口城主郭。

曲がると五稜郭展望台。

曲がって振り返る。

石垣?

 


西の曲輪を見下ろす。

南へ下りて行く。

展望台から龍岡城五稜郭を見下ろす。

丸見えやん。

続日本100名城?

一説によるとこれは城ではなく居館とのこと。

戻る。

分岐点から主郭へ。

主郭西側の曲輪を東へ進む。

主郭の下まで来ました。

また石垣?

帯郭を東へ進む。

主郭東側の城山自然研究園の建物が見えてきました。

ここから登って主郭。

北に長細い。

北の曲輪(二の丸?)を見下ろす。

先ほど通ってきた東の曲輪を見下ろす。

西側から主郭を見る。

主郭を下りる。

東側の城山自然研究園の建物。

あまり使われていないように見える。

ここから東側にもさらに田口城の遺構が広がっている。

行ってみたかったが…

時間が無いので車道を北進。

主郭北側の曲輪の切岸。

車道は北から西へと向きを変える。

さらに北にも曲輪が広がっていた。

その曲輪の西側の切岸。

また石垣?

車道の南側にも石垣。

向こうには、先ほど通って来た主郭西側の曲輪が見えた。

素晴らしい!

完全に石垣。

車道との合流点に戻って来ました。

西の丸にも行ってみたかったが…

時間が無いので下りる。

途中で、先ほどとは違う道から下りる。

こちらは一応木製の階段が付いていた。

五合目。

先ほど突然七合目の表示が出た理由が解りました。

蕃松院からの登城口。

居館跡に建つ蕃松院へ。

【大梁山蕃松院の由来】

 

当山はご本尊に釈迦牟尼佛(お釈迦様)を戴く曹洞宗で、本山は永平寺(福井)と総持寺(鶴見)である。

寺伝によると、かつて西方にあった明法寺は戦火に遭い、現中門の西に移った。

その後、天正8年(1580)儀山沅孝大和尚により整備され、曹洞宗として開山された。

天正11年(1583)、戦国の武将、田口城主依田信蕃は、岩尾城を攻め、弟源八郎と共に没した。

その子松平康国、小諸城主となるや父信蕃の追福供養を念じ、その居館跡に堂宇を再建し、父の御戒名「蕃松院殿節叟良筠大居士」より寺号をとり蕃松院とした。
江戸時代に入り、この地は田野口藩の領下となり、天明6年(1786)より歴代藩主のお位牌を安置し菩提寺となった。

寛政2年(1790)、落雷のため焼失した。

現本堂は文政5年(1822)の再建であるが、特に、その規模は県内屈指で、彫刻の多用等江戸時代後期の曹洞宗建築の特色を今に伝えている。
歴代住職は正法の興隆と檀信徒の安祥を願い護持発展に精励された。

とくに明治初期、第21世新井良音大和尚、仁王門の建立等に努め中興の祖と敬慕されている。

寺の裏山には信蕃の墓と伝えられる五輪塔があり、後方には古城址が高くそびえる。

実に、風光清秀の中に堂宇整然とした佐久の一大古刹である。

 

石垣〰

本堂へ。

本堂。

本堂西側に登城道。

依田信蕃の墓。

説明板。

本堂前のしだれ桜。

見上げる。

桜の花。

仁王門へ。

仁王門から境内を見る。

参道を進む。

中門。

参道入り口。

蕃松院を振り返る。

城下町をさらに西へ。

新海三社神社の鳥居。

振り返る。

枡形。

城址碑と説明板。

枡形を振り返る。

今日は雲の多い一日でした。

帰りは龍岡城駅から、

小海線に乗って、佐久平駅で北陸新幹線に乗りかえて帰りました。

いや〰

今日は疲れました。

帰りの新幹線で思わず寝過ごしてしまい、余計な出費がかかりました。

新幹線を乗り過ごしたのは初めてです。