129 龍岡城 その2(信濃国) | 三日月の館

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登城日 2回目 2018年 4月 7日(土)曇時々晴
難易度 ☆☆
場所   長野県佐久市田口3000-1

 

高島城の次は龍岡城へ向かいました。

小淵沢で小海線に乗り換え臼田駅下車。

隣りの龍岡城駅より近そうだったので。

臼田駅北側の踏切を渡って東へ進む。

遠くに浅間山が見えました。

あと1km。

10km行けば、日本で海から一番遠い地点へ行けるらしい。

臼田駅から約15分で龍岡城が見えてきました。

川村吾蔵記念館前の公園にミニ五稜郭。

五稜郭であいの館へ。

ここで続日本100名城スタンプ2城目をGet!

少し学習。

俯瞰図。

模型。

星型城郭のある世界の都市。

日本にあるのが凄い!


龍岡城へ向かいます。

城址碑と古い説明板。

龍岡城を築城した松平乗謨(大給恒)。

日本赤十字社をつくり育てた人でもある。

説明板。

【龍岡城五稜郭】

所在地 佐久市田口3000番地 指定 国指定史跡


信州に一万二千石、三河に四千石の封地を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来160年間 三河に本拠を持ち、佐久には陣屋を置いて、領内二十二か村の統治をつづけてきたが、11代乗謨になって、幕末激動の状勢に応じて信州に居館を移すことを計画し、元治元年(1864)3月着工、慶応3年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。

用地一万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、総費用4万円余であった。

藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき明治に入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。

築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が成立した。

そしてこれより4年前完成した函館五稜郭址とともに、わが国城址の中においてただ2つの貴重な洋式城郭である。

廃藩後明治5年、城はとりこわしとなったが、さいわい濠と石塁、建物の一部大台所を残している。
 注 松平乗謨、田口藩最後の藩主で明治初年 大給恒(おぎゅう ゆずる)と改姓名

 

表門から入る。

かつての様子。

橋から濠を見る。

城内から濠を見る。

標高720mだそうです。

入ると招魂社がある。

招魂社裏の水濠。

黒門。

城内の様子。

田口小学校の校庭になっています。

黒門を土塁から見る。

周囲を土塁が廻っています。

土塁の外側の石垣。

武者返しが付いている。

砲台のあった西角稜堡。

横から見る。

土塁上から見る。

再び城内に移築された台所櫓。

校庭から見る。

西側の土塁。

この辺りに穴門があった。

桜は満開の一歩手前だった。

校舎の裏側は行きにくいので、ワープ。

南側。

穴門。

外側から見る。

ここから東側は水濠。

城内から。

少し行って振り返る。

城内から。

東へ進む。

南東角を南側から。

東側から。

東側の土塁を北へ進む。

通用門が見えてきた。

通用門。

土塁上から。

横から。

通用門の折れ。

外側から。

北へ進む。

稜堡の内側。

北東角。

外側から。

北側を西へ。

外側から。

東を見る。

表門付近の折れ。

外から見る。

表門への橋。

表門から出る。

一周しました。

城下町との間には桝形があった。

高札場。

次に向かった新海三社神社近くには移築薬医門と土塀があったが、知らずに目の前を通り過ぎてしまったえーん

最後にスタンプ。

やはり、五稜郭みたいに上から見るのが一番だろうと思う。

タワーが無いので、田口城にある展望台から眺めました。

つづく