柳坂曾根のハゼ並木を山手に進み、永勝寺へ。
<永勝寺・山門と正面に六地蔵>
入口から19段、さらに六地蔵から77段石段を登ると本堂が。
<永勝寺>
杉の巨樹に囲まれ静かに佇む様はいかにも古刹らしい。その中でも黄金色に色づいた大銀杏は一際目を引き、思わず歓声をあげてしまいました。
<立派な大銀杏>
柳坂山永勝寺(りゅうばんざんえいしょうじ)は耳納連山の一角・兜山の登口にあります。
<境内の展望所からは筑後平野が一望>
創建は天武9年(680年)、御本尊は薬師如来。皇后の病気平癒を祈願されたとされ、「出雲の一畑」「伊予の山田」と共に日本三大薬師の一つに数えられています。
<永勝寺本堂>
全盛期には七堂伽藍が建立され三十六坊を有しましたが、南北朝時代に兵火、戦国期には大友氏の焼き討ち、さらに天正15年(1587年)小早川秀包が久留米城に入国した際には放火にあい、堂宇仏像のほとんどが焼失したとか。
<鐘楼堂>
その後も荒廃と再興を繰り返し今日に至るそうで。現在の本堂は明治9年(1876年)の建立ですが、
<虚空蔵菩薩堂>
境内に奉安されるたくさんの石仏さまを見ていると、その長い歴史が感じられます。
<五百羅漢像>
五百羅漢さまのそばには懐良親王臨終塔が。
<懐良親王臨終塔>
懐良親王は後醍醐天皇の皇子で、南北朝時代征夷大将軍として九州に下向。正平14年(1359年)「大原の戦い(筑後川の戦い)」で負傷しながらもこれに勝利し(「宮の陣」の地名はこのとき懐良親王が陣を構えたことに由来するらしい)、九州の拠点である大宰府を制圧したとされています。しかしここ久留米ではこの傷がもとで死去され、宮のご遺体は密かに埋葬されたと伝えられていて、永勝寺にほど近い千光寺には御陵があります。(懐良親王の死去年、墓所については諸説あり)
<時代を感じさせる古いおみくじ器(故障)>
さて、永勝寺は別名もみじ寺とも称されまして。紅葉の時期にはたくさんの参拝客で賑わいます。
<入山料200円>
わたし達もお参り後、もみじ狩りを楽しみました。![]()
<境内の紅葉>
紅葉はまだ7割程度でしたが銀杏はピークで。
<青~赤のグラデーションが美しい紅葉>
ハラハラと舞う落ち葉が古刹に漂う静かで厳かな雰囲気と相まって、なんとも言えない趣が。しばしうっとりと眺めました。
<舞い落ちる銀杏の落ち葉>
来た道を戻り、くるめ緑化センター駐車場に戻ると、ややっ!
<くるめ緑化センター駐車場の紅葉>
ここにも紅葉が!今回1番の色づきじゃないか?!![]()
最後にかわいいニャンコにも会えて、
<駐車場にいた懐っこいニャンコ>
急きょ思いついた割には最高の紅葉散歩でした。![]()
<真っ赤だな♪>
・柳坂山永勝寺:福岡県久留米市山本町豊田2155 HP





































