今日10月25日(水)、太宰府に出かけました。
いつものように観世音寺前の観光駐車場に車を止め、戒壇院、
<戒壇院>
【戒壇院】
天下三戒壇の一で天平宝字五年(761年)鑑真和上により開山。本尊は毘盧舎那仏。
戒壇とは、奈良時代に国家が正式に各宗派僧侶の資格を認める受戒の儀式のためと、戒律のために設けられたもの。
観世音寺、
<観世音寺>
【観世音寺】
白村江の戦いの際、百済救済のために九州に下った斉明天皇が朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)で亡くなったため、その子・天智天皇が供養のために発願した寺。発願から完成まで80年かかったという。
「府の大寺」といわれ九州の寺の中心的存在として繁栄したが、そのほとんどが歴史の中で焼失、または廃墟化し、現在残るのは江戸時代初めに再建された講堂と金堂の二堂のみ。
本尊は聖観音。
<境内のモミジは色づき始め>
旭地蔵尊とお参りしながら
<旭地蔵尊>
御笠川沿いの遊歩道を通って太宰府天満宮へ。
<御笠川の遊歩道から見た宝満山>
<遊歩道に咲いていた左:ノギク、右:アサガオ(まだがんばってる!)>
平日とあって駐車場はガラ空きですが、観光バスはたくさん止まっています。
<駐車場に止まる観光バス>
そのほとんどは外国人観光客。
<観光客で賑わう門前町>
インバウンド、完全復活ですね。
太宰府天満宮は本日月次祭。
<太宰府天満宮の行事表>
そう、毎月25日は天神さまの縁日なのです。
菅原道真公がお生まれになられたのは6月25日、お亡くなりなられたのは2月25日と伝えられ、25日は天神さまとたいへんご縁が深い日とされています。
かねてより1度この日に参拝したいと思いつつなかなか日程が合わず、ようやく念願が叶い伺った次第です。
手水舎で身を清め楼門をくぐろうとすると
<楼門>
美しいねぶたの装飾が。
<飛竜天神ねぶた>
これは楼門を「登竜門」の故事になぞらえ、険しい龍門を登りきった鯉が飛龍に化するという成功伝説を、当宮と親交のある青森県の伝統文化「ねぶた」で装飾したもので、受験生の努力が実り成功することを祈っているのだとか。
受験生ではないけれど、わたしもあやかりたい・・・(笑)
参道を進み仮殿へ。
<仮殿>
現在御本殿は改修工事中のためこちらの仮殿でお参りします。
伺うのは6月以来ですが、屋根の上の木々が大きくなっていますね。
<6月に伺ったときの仮殿>
二拝二拍手一拝。
道真公とご縁のあるこの日、ご挨拶が叶ったことに感謝しました。
御本社から東側にある摂社末社へ。
<摂社末社のひとつ・皇大神宮(御祭神・天照大御神)>
ここは天神さまの杜が感じられるお気に入りスポット。
<緑豊かな天神さまの杜>
木々を渡る風が清々しく、思わず深呼吸です。
天神さまの小径(←勝手に命名)を通って
<天神さまの小径>
天開稲荷社にお参り。
<天開稲荷社>
新型コロナの規制が緩和されたのでそろそろ干支の鈴(※)が復活しているかな?と思ったのですが、
<天開稲荷社御社殿>
※干支の鈴
天開稲荷社には大鈴の前に干支の書かれた12個の小さな鈴がある。自分の干支の鈴を鳴らしてから大鈴を鳴らし二拝二拍手一拝でお参りするのが本来の作法。
残念ながらそれはまだ先のようで。
とはいえ、今日もこちらまでお参りできたことに感謝です。(奥の院までしっかりお参りできたし)
お石茶屋の前を通って御本社に戻ってくると、仮殿の前にイスが並べられていました。
<月次祭のために設営されたテントとイス>
神事が始まるまでまだ30分ほどありますが、一般参拝者は仮殿前まで入れない模様。
早めに来てよかったな。
最後にお言葉(おみくじ)をいただきます。
季節によって色が変わる太宰府天満宮のおみくじ。10月は特別受験合格祈願大祭のイメージカラー・濃い水色です。
<龍の図柄が入った水色のおみくじ>
わたしは1番大吉。
相方も大吉で、道真公にご縁のある日にありがたい結果となりました。
<ダブル大吉>
ただ2人とも「はしゃぎ過ぎには注意」とのことで、はい、肝に銘じます。
「かさの家」さんで梅が枝餅を買って、
<25日限定のよもぎ入り梅が枝餅>
来た道を戻り駐車場に。
<駐車場横のコスモス畑>
<風に揺れて>
好天に恵まれ、可憐な花々に癒され、最高のご縁日参りでした。
おまけ
愛車フィットくんが今日、走行距離100,000Kmを達成。
一昨年2月にお迎えして以来、本当によく走ってくれました。
今後もよろしく頼むよ!