俵山温泉の旅2日目。
雨の予報を受け、下関で買い物しつつゆるゆると帰るプランを立てていたのですが、
相方:「オレ、萩に行きたい。」
またですか・・・ これで何度目だ?
【急きょ青島まで足を伸ばすことになった宮崎の旅】
【大どんでん返し・最終日に大山参拝となった出雲旅行】
もうプランニングしないぞー!
と、言いたいところ相方にうまく丸め込まれ(相方:「まぁまぁ・・・」)、魔羅観音、能満寺とお参りした後萩へと向かいました。
【魔羅観音、能満寺参拝については前記事を】
途中長門市に入ると見覚えのあるクジラのモニュメントが。
<クジラのモニュメント>
ここは20年前、青海島クルージングのため訪ねた青海島観光基地。おしゃれな道の駅が出来ていてびっくり!
<誘惑の多い「道の駅センザキッチン」(2022年おきらく道の駅大賞受賞)>
お店の前には、かわいらしいイラストと共に金子みすゞの詩が。
<みんなちがって、みんないい。>
そうそう、仙崎は金子みすゞの故郷でしたね。
旅割クーポンでお買い物をしてから萩へ。「勢いで来てしまったはいいが、どこに行けばいいんだろ?」とりあえず、ここに行けば何かわかるだろうと「萩・明倫学舎」を訪ねました。
<萩・明倫学舎>
「萩・明倫学舎」は全国屈指の規模を誇った萩藩校明倫館の跡地に建つ観光施設。敷地内には貴重な遺構も見られます。(上画像の校舎も国登録有形文化財)
<藩校明倫館の正門だった南門(市指定有形文化財)>
本館~3号館まであり、2号館の幕末ミュージアム(有料)は展示数も豊富で見ごたえあり。
<歴史を感じさせる廊下>
特に印象に残っているのが吉田松陰先生のバーチャル授業。これまでお手本としてきた清国がイギリスに負けたことがいかに衝撃的な出来事だったか、そこから近代化に向けどれだけの人が情熱を傾け奔走したか、よくわかりました。今の日本があるのは、つくづく彼らのお蔭なのですよね。
<江戸時代末期ヨーロッパに派遣された長州ファイブ>
【長州ファイブ(五傑)】
上段左:遠藤謹助=貨幣技術の確立者
上段中央:野村弥吉(井上勝)=鉄道の父
上段右:伊藤俊輔(博文)=初代内閣総理大臣
下段左:井上聞多(馨)=初代外務大臣
下段右:山尾庸三=工業の父、人材育成の父
ここで気になったワードが反射炉。
以前仙厳園(旧集成館)で薩摩藩11代藩主島津斉彬が手掛けた反射炉跡を見ていただけに、すごく興味をそそられたのです。
<斉彬が手掛けた反射炉跡(仙厳園にて2019年5月撮影)>
【仙厳園を訪ねたときの記事はこちら】
スタッフさんに伺うと萩・明倫学舎からそう離れてない場所にあるとのことで、行ってみることにしました。
「道の駅萩しーまーと」で腹ごしらえをして
<道の駅中国エリア人気No1を誇る「道の駅萩しーまーと」>
<海鮮レストラン来萩のランチ(この日は海鮮丼)>
萩反射炉へ。
<萩反射炉>
現在残るのは煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上部一部はレンガ)。
萩反射炉は佐賀藩の反射炉を参考に造られたとか。
地元でありながら佐賀に反射炉があったとは!と驚いたのですが、それも無理のないことで。佐賀にあったという築地反射炉は今はなく、「日新小学校付近」というだけで正確な場所すらわかっていないのです。
<炉北面(炉天井は円柱状煉瓦)>
当時萩藩は唯一反射炉の操業に成功していた佐賀藩に大工棟梁を派遣しますが、佐賀藩は視察を拒否、スケッチすることだけを許可したそうです。一瞬「ケチだな。」と思ったのですが(こら!)、藩の技術を漏らすことは自藩を滅ぼしかねない、そんな時代だったんですよね。
藩の記録から試作的に造られたものとみられる萩反射炉。しかし日本初の築地反射炉が現存していないことを考えると、試作品でありながらこうして残っているのは逆に貴重なことに思えました。(しかも国内に残る反射炉の遺構は萩の他、静岡の韮山、鹿児島の旧集成館の3ケ所のみ)
<反射炉断面図(案内板より)>
さて、ここまで来たならもうひとつ、恵美須ヶ鼻造船所跡も見ておきたい♪
<萩反射炉からは目と鼻の先?(案内板より)>
萩藩の洋式帆船、丙辰丸(へいしんまる)と庚申丸(こうしんまる)が造られた造船所跡です。
<恵美須ヶ鼻造船所跡>
丙辰丸はロシア式、庚申丸はオランダ式の技術を移入しており、このようにひとつの造船所で異なる造船術が用いられるケースはとても珍しいそうです。
<丙辰丸(説明書きより)>
造船所跡とはいえ現存するのは石造堤防のみですが
<恵美須ヶ鼻造船所跡に残る石造堤防>
堤防の上に立つと、海の向こうに世界を見据え日本の近代化に心血を注いだ先人達のひたむきさが感じられるようで胸が熱くなりました。
<石造堤防からの眺め>
最後に松陰神社にお参りしました。
<松陰神社>
こちらにあの松下村塾があります。
<松下村塾>
天保13年(1842年)吉田松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりという松下村塾。安政4年(1857年)に松陰が引継ぎわずか1年余りの間に、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。
木造瓦葺き平屋建て50㎡ほどの小舎ですが、日本の夜明けとなったあの激動の時代が確かにあったのだと、その歴史の証を目の前にして感激しました。
幕末における西洋技術の導入以来、西欧以外の地域で初めて、かつ極めて短期間のうちに飛躍的発展を遂げ、産業国家として地位を確立したことを受け世界遺産に認定された「明治日本の産業革命遺産」。そのうちの5資産を有する萩市。
<世界遺産を配慮したアースカラーなユニクロ>
今回なんとかその3資産(反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、松下村塾)を見学しましたが、全然時間が足りな~い「ブラタモリ」で予習して、また出直したいでっす!(ちなみに残りの2資産は萩城下町と大板山たたら製鉄遺跡)
<きっとまた来ます!>
祖父の思い出の地・俵山温泉に山口の美しい海、そして萩の世界遺産。今回も充実した旅となり、大満足の「俵山温泉の旅」でした。
<吉田松陰のポテトチップと長州サイダー>
<俵山温泉の旅 完>
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
2日目(12/4)旅程
俵山温泉「保養旅館 京家」8:45発ー魔羅観音8:50着~9:00発ー能満寺9:10着~9:25発ー道の駅センザキッチン9:45着~10:10発―萩・明倫学舎10:45着~12:15発―道の駅しーまーと(昼食)12:25着~13:15発ー萩反射炉13:20着~13:30発ー恵美須ヶ鼻造船所跡13:35着~13:55発ー松陰神社(松下村塾)14:05着~14:30発ー絵堂IC14:55発ー鳥栖IC17:00着