幸い、座敷についていた幇間は顔見知りの玉助さんだった。
六十に手が届こうかというベテランで、私のような臨時で通いの仲居にも、陰日向なく接してくれる感じのいい人だ。
それでも、花香太夫に渡して欲しいとひねり文を差し出すと、困った顔をされてしまった。
太夫は、そんじょそこらの遊女とは違う。
ここに集う旦那衆も、複雑な手筈と少なくない金子を費やして、ようやく馴染みとなれたのだ。
そんな存在である太夫に、気軽に付け文などもってのほか。
「どこの野暮天からや、付き返しといない」
「いやいや、そういうのではなくて。私からです。私が、太夫とお話したいんです」
「あんさんが?」
なんでまた、という顔をして、玉助さんが私を見る。
「ほんのちょっとでいいんです。引けた後、ほんのちょっとで」
花香太夫が伊東さんの事情に通じていたとしても、普段交流もない私にあれこれ話してはくれるとは思えない。
私と土方さんが恋仲だということを知っているかはわからないれど、知っていたなら尚更警戒されることだろう。
果たして、私が指定した小座敷に現れた太夫は、予想通り固い空気を纏っていた。
「なんのご用どっしゃろ。もう一座かかってるさかい、手短におたのもうします」
呼びたてたことに対する謝罪に応える言葉も素っ気無い。足元に置いた手燭の灯りだけではよく見えないが、美しく描かれた眉も恐らく苛立たしげに寄せられているはずだ。
太夫の一分一秒は、私とは違う。
彼女たちは、この京で「最も時給の高い女」なのだから。
「伊東さんのことなんです」
探り探り話す余裕もなく、ずばり切り出した。
「先日、長崎から文とお土産を送って頂きまして。そこに少し気になることが書いてありまして。ご本人に確かめたくても、今どこにいらっしゃるかもわからないので、太夫ならご存知かと」
「どこて・・・・・・」
気が急いてまくし立てる私に、太夫が戸惑いを見せる。
「京にいはりますえ」
「えっ、そうでしたか。それは、あの・・・どこかに潜伏されてるとか」
「せんぷくってなんやわかりまへんけど、おとついやったかしら。もひとつ前やったかに、お戻りやとは聞いてます」
「それは、文で?」
「へえ」
伊東さんの帰京に、ひとまず安心した。
けれど、帰京から数日が経っている。
太夫の口調が最初より和らいでいるのをいいことに、私はもう一歩踏み込むことにした。
「他に、何か書いてありませんでしたか?あ、もちろん、早く太夫にお逢いしたいとは書いてあったと思うのですが、そういうのではなく」
出来る限り手短に、必要なことだけ聞きだしたくて先回りしたところ、太夫はゆっくり身を屈めて手燭を取り上げた。
ちろちろ揺れる蝋燭の炎。
浮かび上がる太夫の美貌は、一種凄みを帯びて。
「さくらはんの文には、何が書いてあったんやろか」
そうきたか。
俄かに、気が張り詰める。
ここからは、慎重にならねばならない。
「抜けるとか、なんとか」
どうとでも言い逃れられるよう、私は「なにを」かは言わなかったし、太夫も聞いてこなかった。
「私はそれは、とても危ないことだと思うので。ご無事かどうか、気になるのです」
「へぇ、ほんに恐ろしいことどすな。抜けるやなんて。わてら遊女にとっても他人事やおへん」
知っといやすか、さくらはん。
太夫がぐっと声を落とす。
「その昔、惚れた男に騙されて毒を飲んだ遊女がおいやしてな。幸い命はとりとめたのやけど、髪がごっそり抜けてしもて」
「はあ・・・・・・」
これは、伝わっているのだろうか。
「女は驚き悲しんで、男を恨みながら亡うなってしもたのやそうどす。そない強い恨みを残しては、もちろん成仏なんぞできしまへん。悪しき魂となった女は、夜毎、男の下に現れたとか」
まったく見当違いの方向へ話が進んではいないだろうか。
それも、こんな暗い部屋で聞くには差し障りある系統の。
「日に日に男は痩せ衰え、女が亡うなってちょうど四十九日目の朝、いつまでも起きてこん男を訝しんだ裏店の人らが見つけたのは、こちらに足を向け、倒れ伏す男の姿。けど、ただ倒れてただけやあらしまへん」
さすが太夫は、語りもうまい。
声の抑揚、間の取り方、手燭に下から照らされた顔の恐ろしいことといったら!
「亡骸には、首がおへんどした。まるで何者かに引きちぎられでもしたように。そして、その手が握っていたものはっ」
「もっ、もう結構です!」
震え上がって遮れば、太夫は「あら、そう」と澄まし顔だ。
「ほなら、わては下がらせてもらいます」
ものの見事にはぐらかされた。
結局、聞き出せたことは、三日前までなら、伊東さんは確実に無事だったことだけ。
仕方がない。
明日、お参りを装って西本願寺に出かけよう。
ことが脱走や切腹となれば、隊士から何か聞けるとも思えないが、伊東さんはお坊さんたちとも懇意にしていた。
そちらから何か聞けるかもしれない。
ああ、今夜もあれやこれやと考えて眠れないのかと、溜息が漏れる。
と、座敷を後にしようとしていた太夫がくるりと振り向いた。
「伊東はんは、出来のええおつむをお持ちやさかい、祟られん術を見つけはったんかも知れまへんなあ」
「え、それはつまり」
問い質そうとするも、太夫は赤く彩られた唇に笑みを乗せ、ふうっと手燭を吹き消した。
訪れたのは、闇。
「男の手ぇには、抜け落ちた女の長い髪が、幾重にも巻きついてたそうどすえ」
伊東はんは、何を掴みはるのやろねぇ。
歌うような太夫の声が、重い衣擦れと共に遠のいていく。
暗闇に取り残された私は、その場にへたり込み、震えながら思い知っていた。
本場のイケズ、半端ない―――