第四部・十ノ二話(秋斉) | さらさの「粗野がーる」

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アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

 

 

「文でそう知らせてきたんですか?伊東さんが?」

 

 

 

凍りついた喉から、なんとか声を搾り出す。

 

そうやと頷く秋斉さんの顔は、のっぺりとして表情がない。

 

「そんな・・・でも、抜けるって、それはもう九州から戻らないということですか?それじゃ、他の人は、伊東さんを信じて付いてきた人たちは、藤堂さんは」

 

「落ち着きよし、さくらはん」

 

そう言う秋斉さんの指は、まだ忙しなく『ぽっぺん』を弄り回している。

 

 

「伊東はんが、新選組を抜けたいと言うのんは、今に始まったことやない」

 

「私には、新選組をよくしたいとおっしゃってました。内側から変えていきたいって」

 

そうだ。

 

山南さんの墓前で、確かにそう聞いた。

そのために、山南さんの力が必要だったのに、と。

 

「どんな相手でも、話せばわかる。相手も同じ人なのやから・・・いうのが、あん人の口癖どす」

 

 

私の言葉に小さく頷いたものの、秋斉さんの口元は皮肉げに歪んでいた。

 

 

「甘ちゃんの綺麗ごとどすわな」

 

「・・・・・・」

 

刺々しさに胸を塞がれ、しばし言葉を失った。

 

この数年で、秋斉さんと伊東さんは、順調に友誼を育んでいるのだと思っていた。

彼に誘われて、三味線箱片手に出かけていく秋斉さんの肩の線は、憎まれ口とは裏腹に、いつも柔らかかった。

でもそれは、私の思い違いだったのだろうか。

立場を超えて交わされる情があって欲しいという願望が見せた、綺麗な夢だったのだろうか。

 

「私は、伊東さんのそういうところが好きです。人を信じない人は、人からも信じてはもらえない。そうじゃないですか」

 

「己を信じた相手を騙すのも、また人どすえ」

 

柔らかい口調ながら、被せるようにして返された。

 

秋斉さんからしばしば感じる、穏やかな拒絶に私は怯んだ。

 

(負けちゃダメだ――――――)

 

 

取り付く島のない空気を必死に探って、「でも」を繰り返す。

 

 

「騙されて傷ついて、そこで心が挫けてしまったら、今度は自分が信じられなくなると思うんです」

 

 

耳の奥では、いまだ轟音が鳴り響く。

 

切り立った崖から深い淵へとなだれ落ちる水の音は、逆巻く大河の音にも似ていた。

秋斉さんが、助けて欲しいと手を伸ばしてきた、真っ黒な河の激流の音。

 

「ある人が言ってたんです。考えの違う相手と、たとえ殴りあうことになったって、相手も人だということを忘れてはいけないって」

 

 

今にも呑みこまれ押し流されそうな人を救いだすには、確かな足場と支えになるものが必要で。

 

私はそれを、坂本さんの言葉に求めた。

あの時あれほどまでに鮮烈な衝撃を感じた言葉は、いつのまにか記憶の隅で埃をかぶっていた。けれど、取り出してみれば、たちまち眩く輝きを放つ。

 

ラヴ、すなわち仁。

 

人を信じ、人を赦し、人を愛す。

裏返せば、それは、自分を認めることに他ならない。

自分を肯定することは、誰にでもできることじゃなくて。かくいう私も、最も苦手なことの一つだった。

だからこそ、坂本さんの言葉に胸を炙られたし、伊東さんの姿勢は、今なお眩しくてならない。

 

「遠回りなようだけど、尊王も佐幕も関係ない、それが・・・・・・っ」

 

 

息を飲んだのは、秋斉さんの手の中で、『ぽっぺん』の柄が砕けたからだ。

 

思わす浮いた腰に、クロが膝から滑り落ち、ふみゃあと不満げな声をあげる。

 

薄い硝子が刺さって血の滴る指を気にするでもなく、秋斉さんは壊れた『ぽっぺん』を目の高さに掲げた。

 

 

「ああ・・・割れてしもた」

 

 

呟きの、ぞっとするほど哀しい響き。

 

膝に擦り寄るクロを抱き上げ、秋斉さんは腰を上げた。

 

「かんにんしとくれやす、せっかくのお土産を」

 

 

抑揚のない声で詫びられて、言葉のないまま首を振る。

 

片付けておいてくれと言い置いて出て行こうとする裾に、何とか取り付いた。

 

「手当てを・・・血が」

 

「ええよ、たいした傷やない」

 

僅かに身を捩る仕草で拒まれては、それ以上なす術もなく。

 

私は一人、散らばった脆い硝子片を拾い集めた。

 

 

―――新選組を抜けるという伊東さんの真意について、それ以上秋斉さんに尋ねることも出来ず、伊東さん切腹の報せが届きはしないかと、怯えながら数日が過ぎ。

 

 

 

迎えた弥生二度目の『六のつく日』、土方さんから届いたキャンセルの文には、がっかりするより留めをさされた気分になった。

 

何一つ確実な情報はないながら、置屋にいると思考は悪い方へ悪い方へと動いてしまう。

 

気を紛らわせるためにも、身体を動かしたほうがいいと考えた私は、給金はいらないので手伝わせて欲しいと角屋へ申し入れに行った。

 

もちろん、先方に否やがあろうはずもなく、二つ返事で任されたのは、下京のとある豪商のお座敷だった。

 

お仕着せの着物に着替え、前掛け襷で準備万端整えた頃には、宴もたけなわ。

 

追加のお酒を盆にのせ、閉じられた襖越し、「お酒をお持ちしました」と掛ける声もかき消されるほど、賑やかな三味線や鼓が鳴り響いていた。

 

襖の向こうはむっとした人いきれ。

 

私の入室になど誰も気にとめず、皆の視線は、二人の芸子の伴奏で優雅に舞う、艶やかな太夫に釘付けだった。

 

揚屋の仲居の数ある役得として、まず上げられるのは、飄客から下される多額のおひねり。続いては、あんさんもお飲みと進められる灘や伏見の御前酒。

 

それ以上に私が楽しみにしているのが、便乗して拝める太夫の芸だ。

胸に重くのしかかっていた伊東さんを束の間忘れ、役得役得と、金屏風の前の太夫へと目をやった。

 

(来てよかったっ!)

 

 

胸のうち、快哉を挙げたのは、太夫の舞いが素晴らしかったからだけではない。

 

今宵の首座を務める太夫が、伊東さんの馴染み―――輪違屋の花香太夫だったからだ。

 

続く