話に聞く江戸の吉原などとは違い、島原は開かれた花街だ。
東西に大門があり、それぞれ番所が設けられているとは言え、高い塀も、深い堀もない。
旦那衆が馴染みの遊女や芸子を連れ出すことにも、わりに寛容だ。そのせいか足抜けのための火付けも起こらず、大門脇に積み上げられている用水桶は、もはや飾りと化している。
それでも、やはり島原は「浮世」から隔絶された場所だ。
ここにいれば、食べることにも着ることにも不自由はない。
六日夜から吹き荒れた大風大雨で、甚大な被害が出たと聞いても、それは洛外のこと。
私は、島原の他の住人たちと同じように、あの「どんどん焼け」と呼ばれる戦の後のような逼迫感を得られぬまま、また新たな「六の日」を迎えていた。
早めに訪れた梅鶯庵で、おなつさんと共に夕餉の膳を整える。
今日も今日とて、台所には、走りの里芋、ホンシメジにマイタケ、戻りカツオと言った旬の食材がずらり。
恵まれている、守られているという点で、ここもまた島原と同じだと言えだろう。
とは言え、気がかりなことが一つもないわけではない。
里芋の皮を剥きながら、思い返すのは数日前のことだ。
土方さん経由で、私の快癒を聞きつけたのらしい近藤さんから、遅まきながらと見舞いのお菓子と文が届けられたのが五日前。
よければ是非に将棋の相手を再開して欲しいと、控えめなのか強引なのかわかりかねる催促に応じて、屯所を訪れたがその翌日。
そこで見かけたのは、沢山の隊士に囲まれて、朗らかな笑い声を響かせる伊東さんだった。
見つかったら絶対に声を掛けられる。そして、話題に上るのは例の「おマサさん」に違いないと踏んで、私はすぐにその場を離れた。
自分の「やきもち」心と上手く付き合うには、まだしばらく時間がかかりそうだ。
局長室では、近藤さんが私のことを手ぐすね引いて待っていて。
お菓子のお礼や挨拶もそこそこに、盤を挟んで向かい合った。
駒を並べながら、何の気なしに「伊東さんは、人気者ですね」と口にすれば、近藤さんの眉根がぎゅうっと寄り。
「トシが、厳しいもんでな」
足りない言葉を想像で補うと間もなく、荒々しい足音と共に、噂の主が現れた。
「近藤さんっ!」
よほど慌てていたのか、屯所内では「局長」と呼ぶと決めたことも忘れて襖を開け放った土方さんは、私の姿を認めて声を呑んだ。
来ていたのかとの呟きに続き、「悪いがまたにしてくれ」と退室を促された。
それっきり何の便りもなかったから、本当は今日の逢瀬も流れるのではないかと思っていた。
それくらい、土方さんの様子は尋常ではなかった。
その日の夜からまた秋斉さんが置屋を留守にしていることもまた、私の不安を煽り立てる。
(やっぱり、角屋に復帰しようかな・・・・・・)
思えば、あそこは情報の坩堝だった。
幕府や大名家の動向、米や小豆の値動きから、芝居や着物の流行り廃りまで、耳の端に引っかかる全てが、最新だった。
「そういえば、さくらはん」
「えっ、はい」
自分の思いの中に沈んで、聞き流していたおなつさんの声が耳に届くと同時、手の中の里芋がつるりと滑って土間に転がる。
「あれあれ。他ごと考えてはったら、危のうおすえ」
土に汚れた里芋を、桶の水で手早く洗ったお夏さんが笑った。
いつのまにか、竈にかけられた鍋の中では、里芋がぐつぐつ煮えている。
私が剥き終えた里芋は、ほんの五つばかり。子供の手伝いだってもう少し役に立つだろう。
面目なさに萎れる私に、帰り支度をしながらお夏さんは、中途になった話を続けた。
土方さんにお礼を言っておいてくれと言う。
なんでも、先日の野分の際に、心配して人を寄越してくれたとか。
「年寄一人では戸締りもままならんさかい、えらい助かりましたんえ。ほんに、わてのような通いの下働きにまで心を砕いて下さって、優しい旦那さんどすわ」
まったくだ。
原田さんに、おまさちゃんはもったいないだなんて思っていたけど、土方さんもまた、私にはもったいない。
お夏さんと入れ違うようにしてやってきた土方さんは、鼻の頭を赤くしていた。
「外、冷えてますか?」
煮炊きの蒸気で台所は暖かい。足は冷えるものの、ここにいると外気温はよくわからない。
お湯で絞った手ぬぐいで顔を拭いながら、土方さんは「いや」と首を振った。
「道々、くしゃみが止まらなくてな。大方、屯所で謗られてんだろうよ」
・・・犯人は、私です。