以前秋斉さんが、ぜひ藍屋にと切望したほどのモテオーラの持ち主であるおまさちゃんは、やっぱり素晴らしく聞き上手だった。
慶喜さんのことがあるから、全てを包み隠さず話すわけにもいかない私は、おまさちゃんの絶妙な相槌や、的確な質問がなければ、最後まで語り終えることができなかっただろう。
おまさちゃんが贔屓にしているという門前町のお茶店は、雨のせいで開店休業状態で。
快く二階座敷を貸してくれたから、私は人の耳を気にすることなく話せたし、途中おっぱいを飲んだ茂ちゃんは、座布団の上でぐっすり眠っている。
「ようさん、人が出てきましたなあ。太郎はん、次郎はん、三郎はん、おまつはん」
はふーと一息ついたおまさちゃんが、指を折る。
「ああ、そんでも四人や。太郎はんが、さくらはんのええお人。これは、副長はんでよろしおすわね」
「あ、うん」
ちなみに、次郎さんが秋斉さん。三郎さんが伊東さん。おまつさんが、例の彼女だ。
確かに、土方さんの名前は伏せる意味がない。
「うち思うんどすけど」両手で包んでいた湯のみを傾けたおまさちゃんが、おもむろに口を開く。
「心に決めたお人は一人でも、心を尽くすお相手を一人に絞るのは無理とちゃいますやろか」
「心を尽くす・・・・・」
「へえ。さくらはんには、副長はん。うちには、左之助はん。それぞれ心に決めたお人がいはるけども、惚れおうたお人と、二人っぽっちで生きてくことはできしまへんのやさかい」
うっとこで言うなら、と、おまさちゃんは、食べ終えた団子の串をとりあげ、お皿の上に並べ始めた。
「お産を手伝うてくれはった、さくらはん。下男の弥助はん。うちのお兄はん、お姉はん、それぞれのお家の方たち、左之助はんのお友達の・・・いやぁ、串が足りひんわぁ」
ころころ笑って、もっと頼めばよかったなどと言う。
六本の串のうち、私が食べたのは一本だけだ。
「さくらはんにとって、次郎はんは、この串ぜーんぶ束ねても足りひんくらい、大事なお人なんどっしゃろなあ。そやさかい、隠し事ばっかりされるのが寂しゅうてならんのやわね」
わかりますわかります、と、おまさちゃんは頷く。
「三郎はんのお妾はんを、なんや気に入らん心持ちになるんも、わかりますえ」
「ほんとっ?」
「わかりますとも。うちかて、兄嫁や姪っ子に焼きもち焼くこと、ようおすのんえ」
―――焼きもち。
「・・・やっぱり、これって焼きもち?」
「へえ、焼きもちどす」
口調ばかりは柔らかく、どすんと押された太鼓判に、ずこんと凹んだ。
本当はわかってた、始めから。
このモヤモヤが、見当違いな焼きもちだということは。
ただ、認めたくなかっただけだ。
認めたら、こうやって、自己嫌悪の嵐に巻きこまれるとわかっていたから。
空に居座る暗雲もかくやというどす黒さに胸を覆われ、深く重い溜息をつく。
「やだなあ、もう」
情けない。
恥ずかしい。
「なんもそないなお顔しはらんでよろしおすのんえ、さくらはん」
おまさちゃんは慰めてくれるけど、自分の了見の狭さ、身勝手さを痛感するのは、やっぱり堪える。
それに、これじゃあ、結局土方さんに合わせる顔がないままだ。
回れ右して置屋に逃げ帰ろうかとの考えが、チラリと脳裏を過ぎる。
でも、それが何の解決になるというのか。
ぐるぐると考えるうち、無意識に頭を掻き毟っていたようで、おまさちゃんに「やめといやす」と止められた。
「今日のお天気みたいなもんどすえ、さくらはん」
ぼさぼさに乱れてしまった髪を、おまさちゃんが櫛で梳いて整えてくれる。
「どんな雨降りの日ぃでも、雲の上には青い空がおすように、どない焼きもち焼いてモヤモヤしたかて、その向こうには、相手はんを思う、ピカピカのお天道さまみたいな、あったかい気持ちがあるのやさかい」
一梳き、一梳き丁寧に、梳られる髪と共に、おまさちゃんの一言一言が、ささくれ立った私の気持ちを整えていく。
「暗い雲のとこばっかり見て、ご自分を責めんかてよろしおす」
「・・・ありがとう」
油断すると泣いてしまいそうで、それではあまりに格好がつかなくて、鼻を啜りながらぼそぼそと「ありがとう」を繰り返すことしかできない。
「えらそう言いましたけど、これ、うちのお兄はんから受け売りどすねん」
「それは・・・素敵なお兄さんだねぇ」
おまさ兄、さすがの癒しスキル。
しみじみ言う私に、おまさちゃんは「そうどすねん」と深く頷いた。
「そやさかい、ついつい焼きもち妬いてしまうんどす」
ぺろりと舌を出すおまさちゃんに、自然に笑みがこぼれた。
今度、原田さんに会ったら、「つくづく、いい奥さんもらいましたね」と言ってやろう。
絶対返ってくる怒涛のノロケも甘んじて聞こう。
―――おまさちゃんと別れ、すっかり落ち着いた気分で訪れた梅鶯庵に、土方さんは既に来ていた。
体調について、二、三の質問を受けた他は、聞かれて具合の悪いことを掘り下げられることもなかった。
おなつさんの作ってくれた夕餉を食べて、早々に潜り込んだ床の中では、いつもよりほんの少し多めに甘えて。
夜が深まるにつれて天気は荒れ模様となり、締め切った雨戸がガタガタと音を立てている。
でも、ここにいれば大丈夫。
とろとろと眠りに落ちる寸前、土方さんが何か呟いた気がして、「なんですか」と若干怪しい呂律で問い返した。
「野分(のわき)だ」
土方さんが、繰り返した。
「野分が来る」
その言葉通り、この夜荒れ狂った風雨は、二百年来と言われる水害となって各地を襲い、氾濫した川は、色んな意味で有形無形の様々なものを押し流すこととなるのだけれど、私はそんなことなど知る由もなく、ただぬくぬくと、土方さんの腕の中、久しぶりに途切れることのない眠りに落ちたのだった。
第三部完