第三部・十八ノ七話(秋斉・おまさ) | さらさの「粗野がーる」

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アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

置屋に戻って、久しぶりに夕餉の膳を並べながら、秋斉さんは、伊東さんのお妾さんについて話してくれた。

別に私が聞きたがったわけじゃない。

金回りのいい新選組の休息所にしては、やけに古びた家だったのが不思議で、その辺りの疑問を口の端に上らせた。ただ、それだけで。秋斉さんの言葉を疑ったわけではないのだけれど。


「あん人、おマサさんというんやけどな。姓は『辻』言うて、元は大和の方でそこそこの家の娘さんやったそうや」


跡をついだ兄が水戸学にかぶれて、井伊大老が推し進めた思想弾圧の煽りで一家は離散。その後はお定まりの転落人生を歩んでいた彼女が、伊東さんと出逢ったのは、大坂は天神橋の下だという。


お侍様、うちを一晩買うてください―――総嫁と呼ばれる、最下層の遊女として。


「総嫁やなんてもんは、どんな岡場所でも値のつかん、大年増か明かりの下では見るも無残な醜女ばっかりやそうどす。そやのに、あん人はまだ若い上、あの通りちょっとしたべっぴんはんやさかい、身の上が気になったらしゅうて」


べっぴんはん。

そこでまたザラっとしたものが胸を撫で、ごまかすためにご飯を掻きこんで叱られた。


伊東さんはあの気質だから、大いに同情して連れ帰り、取り急ぎ借り受けたのがあの家で。あそこじゃああんまりだからと、鋭意物件探し中。

また、驚いたことにというか、伊東さんっぽいというべきか。

二人はいまだ、清い関係なのだそうだ。


「そやさかい、お妾はんとは言えまへんわな」と、秋斉さんはお茶を啜った。


「着物やら櫛やら買うてやろうとしますとな、着物を脱ぎだすのやそうどす。タダでは貰えんということどっしゃろな。どういう行(ゆ)く立てがあったやら、詳しゅうは聞いてまへんけど、何かにつけて色事で解決しようとしはるらしゅうて。わても、一度菓子を届けた際に」


言いさして、口を噤んだ秋斉さんは、私にちらりと目をむけて。

「ごちそうさん」とにっこりしたかと思うと、ものすごーくわざとらしく、話題を変えた。

元々聞きたかった話ではないし、聞いていて楽しい話でもなかったから、私もそれ以上追求しなかった。



一晩明けた今日は六日。

雨が止んだのは一時のことで、夜半から降り始めた雨は今も止む気配がない。


「はあ・・・・・・」


せめて、お天気だけでもよかったらいいのに。

溜息がつきつき、足元の石を蹴っ飛ばす。

一度不義理をしたさかい、早目に出かけたらどうかと、秋斉さんに促されて置屋を出てきたものの、私の心はすっきりしない。


昨夜は布団の中で、秋斉さんが話してくれたことを、もう一度取り出して吟味しようとしたのだけれど、「おマサさん」の楚々とした美貌が目の裏に浮かぶたびに、まとまりかけた思考を乱されて、

どうしても上手くいかなかった。


私は一体どうしたというのだろう。

自分の気持ちがわからないし、わからない方がいいような気もする。

でも、こんな気持ちのまま、土方さんと顔を合わせるのは、気まずい。なんだか、とても後ろめたい。


会いたいのに。

すっかり元気になりましたと、笑いたいのに。


「秋斉さんのせいなんだからっ」


ええい、イライラするっと、もう一度足元の石を蹴り付けた。

拍子にすっぽ抜けた下駄が飛んでいった。


飛んでいった先は、丁度西本願寺の堀の方。

堀の中に落とそうものなら、竹棹でもないことに取り出せない。目には土方さんの渋面が、耳は秋斉さんのお小言が蘇り、青ざめて見送った下駄は、幸いにして堀の手前にぽとりと落ちた。f


セェェェェェェェェフッ!



裸足に下駄履きでまだしもよかった。冷や汗を拭って駆けつけた私に、下駄を拾い上げて手渡してくれたのは、丸々太った赤ちゃんを抱いたこちらも丸々とした若い母親。


「お久しぶりどすぅ」


のんびりとした声をかけられて、傾けた傘の中をよくよく見れば、おまさちゃんだった。

同じ「おまさ」でややこしいが、こちらは原田さんちのおまさちゃんだ。


「わあ、茂ちゃん!大きくなったねぇ」

「ようオッパイ飲むさかい、丸々してしもて」


丸いのは茂だけやないけどと、ころころ笑うおまさちゃんは、いつ見ても幸せそうだ。原田さんの方は、会えば卑猥な冗談を飛ばしてくるのは相変わらずだけど、飄々とした中にも時折覗かせていた荒んだ色は、すっかり鳴りをひそめた。彼が丸くなったのは、体ではなく心の方なのだろう。


抱っこさせてもらった茂ちゃんは、見た目通りずっしり重くて、とても月足らずで生まれた子だとは思えない。

ひとしきりあやしたり、くすぐったりして笑わせて、癒された。


「ふー、なんかモヤモヤがふっ飛んだわ。ありがとねぇ、茂ちゃん」

「あらぁ、何か悩んではりましたん?」


茂ちゃんを受け取りながら、気遣わしげな声をかけてくれたおまさちゃんの、ほのぼのとした顔を見下ろす。


「聞いてもらっても、いい?」


あれこれ考える前に、そう聞いていたのは、それだけ私が惑乱していた証拠だろう。

おまさちゃんに、何かアドバイスしてもらえると、期待したわけではない。

ただ、聞いてくれるだけでいい。

うんうんと聞いてもらって、「難しいねぇ」とでも相槌を打ってくれれば、土方さんと会う前に少しは気持ちの整理がつくかもしれない。


そんな柔らかい聞き手として、おまさちゃんは最適の人に思えた。


「じゃあ、あそこの茶店に行こうよ。お団子ご馳走するから」

「ほんまどすか?いやぁ、嬉しいわぁ」


どこまでもふんわりとしたおまさちゃんと連れ立って、私は門前町の茶店を目指し歩き始めた。

 

第十八ノ八話へ続く