松の間の団体客への応対に追われている角屋で、私は二階の小さな座敷をいくつか任された。
その内の一つが花里ちゃんが呼ばれた新選組の座敷だ。
「鬼の副長」である土方さんが出張でいないこの時期、箍の緩んだ隊士たちが花里ちゃんにたわむれかかったりしないだろうかと懸念していたのだけど、お膳を運んで行った座敷に来ていたのは、永倉さんと藤堂さんで。
それに加えて、顔は見たことがあるけれど名前を知らない隊士が三人。
いずれも十代後半から二十代半ばといった年回り。、島原にはあまり慣れていないのか物珍しそうに座敷を見まわしている。
新選組は人斬り集団。
京の人たちの評価は相変わらずながら、こうして戦いの場を離れてくつろぐ彼ら一人一人は、私の目から見たら普通の青年に過ぎない。
頻々と天誅騒ぎを起こしている「憂国の志士」達と、どこがどう違うというのだろう。
始めはぎこちなく、けれど興が乗ってきたのか次第に力強さと艶やかさを増した花里ちゃんの三味線に聴き入る彼らにお酌をしながら、私はそんなことを考えていた。
「いやしかし、さくら。そうやって女の着物を着てると、お前もちゃんと女に見えるから不思議なもんだな」
お酌を受けながらまじまじと私を見つめ、そんなことを行ってくる永倉さんは、今日もやっぱり無礼者だ。
女に見えるっていうか、女だしっ―――ツッコミたい気持ちをぐっと堪える。
私は仲居、この人は客だ。我慢我慢。
「ところでよぉ・・・あれ、どう思うよ」
杯を片手に永倉さんが顎で示した「あれ」とは、三味線を弾き終え、藤堂さんにお酌をしている花里ちゃんだ。
「どうとは?」
「なかなか似合いだろう」
言われて二人に目を向けてみれば、藤堂さんに三味線を褒められた花里ちゃんは、照れくさそうに俯いて、長い袖をいじくりまわしている。
「花里はどうか知らねぇが、平助はまんざらでもねぇみてぇなんだよな」
「へぇっ、そうなんですね」
永倉さんによれば、上京してからの藤堂さんは、「明日死知れぬ身で、決まった相手なぞ作れない」と主張していて、女遊びに積極的ではなかったのだという。
それが先月くらいから、島原に誘うと着いてくるようになり、遊女を揚げようかと言うと、「藍屋の遊女がいい」と主張するようになったらしい。
「はじめは菖蒲か玉緒に惚れやがったかと思ったんだけどよ。ああして花里と話してる時の方が楽しそうにしやがるからよ」
驚いた。
永倉さんにそんな観察眼があったなんて。
言われてみれば、確かに、藤堂さんと花里ちゃんはお似合いだ。
年頃も近いし、愛くるしい花里ちゃんと、色白で上品な面ざしの藤堂さんは、並んでいると一対の雛人形のよう。
ぽつりぽつりと話している内容も、どこそこの甘味屋さんがおいしかったとか、今南座でかかっている芝居の評判がいいとか、微笑ましいことばかり。
いつも元気な花里ちゃんが時折恥ずかしげに身を捩る様子とか、藤堂さんが殊更穏やかに大人びた話し方をしているのにも誘われて、私と永倉さんはついつい笑みを浮かべて二人を眺めまわしてしまう。
その視線に気づいた二人が、さっと表情を改め、藤堂さんに促された花里ちゃんが他の隊士にもお酌をし始める。
なんだか悪いことをしてしまったと思った私は、他の座敷の様子も見に行かねばと腰を上げた。
お公家さんや、商家の旦那衆と違い、揚屋での作法も知らない関東武士。
粗野で下品な人斬り集団。
新選組に対する、都人の中で今なお根強い偏見が、花里ちゃんの中にもある。
藤堂さんとの親交で、花里ちゃんのバイアスのかかった物の見方が少しでも改善されればいい。
噂に惑わされず、自分の目で見て感じたことを信じて欲しい。
そんな風に考えを巡らせていたのは、ほんの僅かな間で、私はすぐに三ヵ所もの座敷のお運びと応接をこなさねばならない忙しさに飲み込まれていった。
一刻余りの時間が過ぎると、忙しさも徐々に納まり、松の間の宴会がはけて後片付けが始まるまで休憩をしていていいと言われた私は、草履を履いて庭の一角に降りてみた。
細かく白い石が一面に敷かれ、大小の石が効果的に配置された角屋の庭で、最も目を引くのは、「臥龍松」と呼ばれる見事な枝ぶりの松の木だ。
東の空から下弦の月が投げかける柔らかな光を受けて、ぼうっと仄かに発光しているかのような白砂に、松葉の細かい影が美しい。
不意に、先日土方さんと共に夜空を見上げた日のことがよみがえった。
大坂で、土方さんもこの月を見ているだろうか。
これから欠けていく、どこか寂しい月を。
あの夜、ほんの束の間交わした抱擁を想い、宴会客の目につかないよう片隅で名庭を眺めていた私は、ふと、くれ縁から厠へとつながる渡廊に、手燭を持って佇んでいる男性に目を留めた。
柿渋色の単衣に同色の羽織を纏ったその人は、大店の若旦那風でありながら、すんなり伸びた長めの首も、肉の薄い丈高い体つきも、よくよく見れば私の見知った人だった。
声をかけようと近づきかけて、もしかして任務中かもしれないとの思いから逡巡する。
けれど、踏みしめた枯れ枝がぱきりと鳴いて、その男性――山崎さんの方から私の存在に気づいてしまった。
「ああ、さくらはん。こんばんは、お久しぶりだすなあ。休憩中だすか」
「・・・こんばんは」
いつもの抑揚にかける話し方とは違い、柔らかな大坂弁に穏やかな微笑み。
はたから見れば、常連客と仲居との会話にしか見えないだろう。
いいかげん慣れたつもりだったけれど、私が角屋にいること自体にはなんの驚きもない様子の山崎さんは、やっぱりちょっと怖い。
手招かれ、渡廊の下まで歩いて行くと、身をかがめた山崎さんは手すり越しに私の耳元へ顔を寄せた。
「休憩中やったら、少し付き合ってもらえはしまへんか」
月明かりと手燭の灯りに照らされた山崎さんの顔は、なんだかやつれているように見え、それでいてその白眼の勝った双眸には、否とは言わせない強い光が窺えて。
少しだけならと頷いた私に、山崎さんは、二階の孔雀の間で待っていると囁き、踵を返した。
鼻腔をくすぐる湿った風に、土の香りが濃い。
じきに雨が降り出すだろう。
時折月光を遮る細長く黒い雲を見やり、私は山崎さんの後を追うべく庭の玉砂利を踏みしめた。
第百七ノ三話に続 く