第百七話(藍屋) | さらさの「粗野がーる」

さらさの「粗野がーる」

アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

将軍様が江戸へ戻られることになり、それに伴って慶喜さんも土方さんたちも大坂へ行ってしまった。

京の治安は相変わらず悪いから、一月の下坂時と同じく、新選組も半数はこちらに残って市中警備にあたっているようだ。

祇園や四条の繁華な場所や、旅籠がひしめく三条大橋付近では、藤堂さんや斉藤さんや永倉さんに率いられて巡邏に当たる彼らの姿をよく目にする。


一度、枡屋さんをお店に訪ねてみたのだけど、出てきた番頭さんに、毎日出歩いてどこで何をしてはるのやらわかりまへんと跳ね付けられた。

顔を見ることはかなわなかったけど、出歩けるなら元気なのだろうと納得し、私は、忙しくも平穏な日々を過ごしていた。


そんな、五月も終盤に差しかかったある日。
座敷に揚がる準備をしている菖蒲さんの部屋で、私は、既に支度を終えて三味線の稽古を始めた花里ちゃんの弾きだす音色に聴き惚れていた。


「最近、花里はんは腕をあげはったねぇ」
「ほんに、ほんに」


袖の陰で鈴虫松虫の禿コンビがひそひそと言葉を交わす。
今までの花里ちゃんは、お世辞にもお稽古熱心とは言えなくて、明るさと愛嬌がウリな感じだったけれど、ここ三月ほど、人が変わったように稽古に身を入れるようになった。

技術的なことはわからないものの、情緒に訴えるという点で、花里ちゃんの三味線は飛躍的によくなったと感じる。


「どういう心境の変化ですかね」


小声で問いかけた私に、お座敷の準備をしていた菖蒲さんがうふふと笑って教えてくれた。

島原では、容貌・芸事・教養の全てに優れた妓は太夫に推される。
けれどそんな人はなかなかいないから、容貌の優れた妓は遊女に。
芸事が特に優れている子は芸子に。
どちらもそれほどでもないけれど頭の回転の速い妓は仲居に。

それぞれの特質を楼主が見定めて育て上げるのだという。


「そら身体を売ったほうが早う借財は返せるけど・・・芸子として芸だけを売って生きていくのも一つの道どす。花里はまだ振り袖やさかいに、腕を磨いて芸子になるのも夢やないわね」


薬指でふっくらした唇に紅をのせながら、鏡越しに花里ちゃんを見つめる菖蒲さんの目が優しい。

芸事に優れていれば芸子になれる。
ならばどうして菖蒲さんはその道を選ばなかったのだろうか。
音曲も舞も、素人の私が見聞きしてもわかる一流どころなのに。


気にはなれど、立ち入り過ぎた質問な気がして、口にすることはできない。、ただ鏡に映った菖蒲さんの美貌を見つめていると、べっ甲の笄(こうがい)を「これをさしてくれはる?」と差しだされた。

複雑に結われた髪に笄(こうがい)をさすべく膝行(しっこう)すると、菖蒲さんは低めた声で囁いた。


「わてはね、しょうもない男に入れ上げて稽古に身が入らん時期があったんどす」


意外過ぎる告白に言葉を失う。
美しくて、優しくて、なにより賢い菖蒲さんにそんな過去があったなんて。


「女を駄目にする恋もあれば、花開かせる恋もある。花里はんは、ええ恋を見つけたのかもしれへんわね」


ひたすらに柔らかく慈しみに満ちた視線を花里ちゃんに注ぐ菖蒲さんに、胸がつまる思いがした。
きっと彼女の恋は辛い稚(おさな)い恋だったのだろう。
傷ついて、泣いて。だからこそ優しくて賢い今の彼女があるのかもしれない。

そこへ、襖の外から秋斉さんの声がかかった。


「菖蒲、逢状が届きましたえ」


音もなく襖を開き、中を覗いた秋斉さんが、私の姿を認めて小首を傾げる。


「さくらはん、今夜は角屋はんに手伝いに行く日と違いましたかいな」
「あ、はい。六つ半頃、松の間にお客さんが沢山いらっしゃって手薄になるので、その頃に来てほしいといわれてます」


私の返答にそうどすかと頷いて、秋斉さんは、三味線の片づけを始めた花里ちゃんに向き直った。


「菖蒲への逢状が重なったさかい、花里に片方任せますえ」


花里ちゃんにどなたの座敷かと問われ、秋斉さんは二通の逢状を見比べ、片方を花里ちゃんへと差し出した。


「菖蒲は、鍵屋はん。花里は、新選組どす」
「旦那さん、花里に新選組は・・・・・・」


途端に表情を強張らせた花里ちゃんを気づかって、菖蒲さんが助け船をだそうとする。
けれど、秋斉さんは厳しい表情で首を振った。


「鍵屋はんを花里には任されへん。そもそも振り袖が客を選ぶなんぞ心得違いもええとこや」


ぴしりと言われて花里ちゃんが項垂れる。
追い詰められた小動物のようなその様子に、秋斉さんが眉を寄せた。


「まあ、なんかあったらさくらはんを呼びよし。頼んでもよろしおすか、さくらはん」


花里ちゃんはちょっと怯えすぎだと思うけど、近藤さんも土方さんも出張中だから、若い隊士が狼藉を働く可能性はなくもない。
秋斉さんに水を向けられて、私は不安気な花里ちゃんに、もちろんっと力強く頷いて見せた。


「・・・殴ったらあかんえ、殴ったら」


ついつい作った握り拳を見咎められて、秋斉さんの扇子でぺしぺし叩かれた私に、菖蒲さんがほほほと笑い。
それに釣られて花里ちゃんの表情も明るくなって。

世情は不安に満ちていても、こうして穏やかに過ぎていく時間がある。
笑いあえる人がいる。

元いた世界では当たり前すぎてその有難さに気づくこともできなかった幸せを、この時私は強く意識していた。


第百七ノ二話に続く