第百五ノ三話(/) | さらさの「粗野がーる」

さらさの「粗野がーる」

アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

 

斬り合いが行われていたり、河原に首が晒されていたりということではなく、皮膚感覚の問題だ。

町全体が息を潜めているような、それでいて、空腹の獣に狙われているような。


お使い先の太物屋さんで尋ねたら、木屋町付近で火事があり、不審な人物が新選組に捕らわれたらしい。


「なんや、長州もんやったらしいえ。まだ壬生浪がウロウロしとる」


そう教えてくれた手代の弥兵衛さんは、揉め事はどこかよそでやって欲しいと眉根を寄せた。
幕軍が長州に攻め込むとか、逆に長州軍が京に攻め上ってくるとかいう噂は相変わらず根強くて、市井で暮らす人々はみな不安に思っている。

その日暮らしの裏店の人たちはもちろん、財をなした商人だとて、蔵や店が焼ければ一大事なのだ。

私にはここで失うような財産はないけれど、失いたくないと思う人たちが大勢できた。

帰り道、目に付いたいくつかの神社やお寺に立ち寄り、お参りをしようと思ったのは、私の中にも確かにある振り払えない先行きへの不安からだった。

五つ目だったか六つ目だったかに訪れたのは、住持もおらずおそらく檀家も堪えてしまっているのだろう、朽ちかけた廃寺。

人は寄らなくても仏様はいらっしゃるだろう。
逆に人が寄らないお寺の仏様の方が、こちらのお願いにも耳を傾けてくださるかもと、かなり不純かつ浅はかな考えの下、私はその廃寺に足を踏み入れた。


手入れを欠いた境内では、草が伸び放題に伸び、荒れ果てた堂宇は僅かに傾いている。
山門から堂宇までは敷石があるため、雑草を払いながら進む必要はないのが救いだ。
今日は買い物に回る店の都合上、女物を着てきたのでなるべく汚したくはない。


敷石を踏んで堂宇に近づいた私は、歪んで建てつけが悪くなったのか締まり切っていない腰高障子に目をやって、どきりとした。

血が、ついている。
しかもまだ生々しく新しい。

不審に思って意識を研ぎ澄ませると、暗い堂宇からは微かではあっても確かに何者かの気配がする。
それが人間なのか、動物なのかはわからない。
どちらにしても、怪我をしていることは間違いない。

念のため、懐剣をいつでも抜けるように両手でもって、私は堂宇の階段を上った。


「どなたか、いらっしゃいますか?」

突然斬りかかられたり飛びかかってこられてはたまらないから、障子の脇にたち声をかける。
応(いら)えはなかった。

けれど、生き物の気配はより濃密に漂ってくる。
野犬や狸などの動物なら威嚇の声を上げるだろうから、中にいるのはおそらく人間か、もしくは害のない動物だろう。


「開けますよ?」


野犬よりなにより、厄介なのは人間だ。
怯えて判断力の鈍った人間ほど無茶をする生き物はいないから、私は懐剣の鞘をはらい警戒しながら片手で障子を引いた。


むわっと漂ってきたのはカビの臭い。
それから僅かな血臭。
屋根が破れ、天井板の剥がれた隙間から縦に陽光が差し込んで、堂内は思っていたより明るかった。

寺の規模に見合うこぢんまりした外陣では湿って腐った畳が波打ち、内陣には、その荒れ具合に不釣り合いなほどに立派な阿弥陀像が据えられている。


「どなたか、いらっしゃいますよね?怪我をなさってませんか?」


少し声を張って、本尊に向かって呼びかけてみた。
隠れられそうなところは他に見受けられない。

かさりと衣擦れの音がして、阿弥陀像の後ろから人影が現れた。


「・・・・・・・・っ」


目を眇めてその人物の顔を窺った私は、思わず大声を出しかけて慌てて口を塞いだ。


「さくらはん・・・・・・」


よく知った人がよく知った声で、私の名を呼ぶ。
咄嗟に様々な記憶や考えが脳内を駆け巡ったけど、とりあえず思考は棚上げにして、私は懐剣を鞘に納めると、障子を出来る限りきっちり閉め、その人に駆け寄った。


「なんで、あんさんがここに・・・・・・」


掠れ震える声で困惑したように呟くその人は、左上腕を強く握りしめており、切り裂かれた濃い色の羽織からは、鮮血の滲む傷口が見て取れる。

明らかな刀傷。
そういった刃傷沙汰とは遠いところにいるはずの人なのに。

大店の旦那さんで、上品で穏やかで物腰柔らかい―――そう、左腕に刀傷を負い、緊張と痛みからか額に脂汗を滲ませたその人は、枡屋喜右衛門さんだったのである。


第百五ノ四話に続く