永倉さんから事情を聞きだした土方さんの怒りたるや、凄まじかった。
「こンの馬鹿野郎っ!」
怒鳴られて、耳がキーンとする。
苦笑まじりの「阿呆」とは迫力も桁違い。
般若を通り越して、仁王様だ。「吽」ではなくて、「阿」の方の。
油断してしまった経緯を言い訳するも、火に油。
「んなもん嘘に決まってるだろうがっ。下らねぇお涙頂戴に騙されやがって。出来心の掏摸が剃刀なんざ使うワケあるかっ。掌で済んだからいいようなものの、下手したら喉笛掻き切られてあの世往きだぞっ」
途中、「それくらいにしてやれよ」と永倉さんが助け舟を出してくれたけど、「うるせぇっ」の一言で黙らされた。
しかも、馬詰さんが草履を買ってきてくれるのを待たずして、土方さんは永倉さんの下駄を脱がせ、それを私に履かせてお医者さんへと引きずって行った。
ごめん、永倉さん・・・・・・。
裸足で取り残されたというのに、同情のこもった目で見送ってくれた貴方はいい人です。
デリカシーがないだけで。
連れて行かれたお医者さんで、傷口を改めて消毒してもらい、針と糸でちくちく何針か縫われた。
もちろん麻酔なんかしてくれないから、痛いったらない。
唇を噛み、膝を握りしめて堪えていたら、土方さんが手を握ってくれて。
途端に痛みが引いていくような錯覚を覚えた自分は、まさしく「阿呆」だと思う。
これこそ「怪我の功名」だと思わず微笑みかけたら、睨まれた。
治療を済ませた今、私は、ひたすら恐縮しながら、肩を怒らせて前を行く土方さんの背後をとぼとぼと歩いている。
明らかにまだお怒りなのだけど、怒鳴られたのは永倉さんと一緒にいた時だけで、それ以降土方さんは無言を貫いている。
沈黙がかえって堪えて、いきおい歩みの遅くなる私と土方さんの距離はどんどん開いていく。
と、不意に、土方さんが歩みを止めた。
なんだろうかと、同じように立ち止まった私を、くるりと振り向く。
待たれている気配がしたので、揺らすと痛む右手を左手で固定して小走りに距離を詰めた。
「・・・痛むのか」
「平気です」
「なら、隣を歩け」
そう顎をしゃくった土方さんは、さっきまでより明らかに速度を落として歩き始めた。
そんなさりげない気づかいを嬉しく思うも、隣で見上げた土方さんの眉間には、まだ険しくシワが寄っていてる。
今までなら土方さんと並んで歩く時、私の気持ちはいつも浮き立っていて、空も、街並みも、木々も、花も、なにもかもが美しく感じられたのだけど、今日はひたすら無言が痛い。
「あの・・・この間言い損ねたんですけど、新選組の処遇が今まで通りになったって山崎さんに聞いて」
「・・・ああ」
「おめでとうございます。私も嬉しいです」
なんとか空気を和らげて貰おうと、懸命に気持ちを伝えると、視線がじろりと流れてきた。
「嬉しいか。明日斬られて死ぬかもしれねぇけどな」
「・・・意地悪言わないでください」
途端にしょげた私に、土方さんが鼻を鳴らす。
「意地悪じゃねえ、それが現だ。人なんざ容易く死ぬ。『死』はこっちの事情なんて斟酌してくれやしねぇからな」
「・・・・・・」
淡々と話す土方さんの横顔には、気負いも苦さも感じられず、そのことが逆に辛くて、私は視線を足元に落とした。
「お前も揉め事に首つっこまずにいられねぇんなら、命落とす覚悟は決めとけよ」
「・・・つっこむなとはいわないんですね」
日頃、危ないことをするな、厄介事に関るなと、秋斉さんに口を酸っぱくして言われている私には、土方さんの言葉が新鮮で。
思わず、再び見上げた先で、土方さんは僅かに目元を緩めた。
「お前も、俺に言わねぇだろう。『危ないことしないで』とか、『新選組なんて辞めて』とか」
そんなこと、言えるわけがない。
成し遂げたいことがある、そのために修羅の道をいく。
芹沢さんを手にかけたあの夜、そう言った土方さんの決意に満ちた目は、今でも鮮明に思いだせる。
何を犠牲にしてでも守りたいと思っているものを手放せなどと、一体誰が言えるだろう。
「危険だろうがなんだろうが、困ってるヤツは助(す)けてやらにゃならねぇってのがお前の信念なんだろう?
なら、俺が何言ったって、お前は聞きゃあしねぇだろうよ」
「・・・・・・」
なんだろう。
ものすごく。
ものすごく嬉しい。
「俺ができるのは、せいぜいお前が首をつっこむ厄介事が減るように、市中の取り締まりに精を出すことくれぇだ」
話しながら、大通りを逸れて小路へと足を踏み入れる。
途端に人通りがなくなって、そのことが私を大胆にさせた。
二、三歩前を行く土方さんの右手に左手を伸ばす。
規則正しく揺れる小指に触れると、途端に土方さんの歩みが止まった。
振り向いた彼の顔があまりに愕然としていたから、かき集めた勇気がたちまち萎む。
「ごめんなさ・・・・・・っ」
慌てて引っ込めようとした手をぐいっと引かれ、抱き寄せられた。
顔を見上げようとした頭を胸に押し付けられて、瞬時に汗ばんだところへ、深いため息が落ちてくる。
「俺ぁ真面目に話してたんだがな」
「ごめんなさい。嬉しくて、つい、出来心が・・・・・・」
「お前・・・・・・」
肩を掴んで体を離され、目にした土方さんは、怒っているような笑っているような、なんとも微妙な顔をしていた。
「俺がもう怒ってねぇ思って、油断しているだろう」
「えっ・・・怒ってますか、まだ?」
そのままでいい、私らしくしてればいいと言ってくれたのだと思ったのだけど、勘違いだったのだろうか。
本当は、めちゃくちゃ怒っているのを、我慢してるとか?
怖々尋ねた私に、土方さんはニヤリと顔を歪めた。
「俺が怒らずとも、置屋に帰りゃ、代わりに怒ってくれるのがいるだろう
「・・・・・・っっ」
ひぃっ、忘れてたっ!
剃刀で切り付けられた時より青ざめたであろう私を見て、土方さんは満足気に喉を鳴らし。
小路を抜けて、大通りに出るまでの僅かな間だけ、手を引いて歩いてくれた。
けれど、私は、置屋で待っているもう一匹の「鬼」を思えば、地獄への水先案内のようにしか感じられず。
このままどこかに連れ去ってくれはしないかと、埒もないことを考えたのだった。
第百五ノ三話に続く