「寄っていくか」
母屋の方に顎をしゃくられた。
自室へのお誘いだ。
もちろん、断る理由はない。けれど、胸ときめき過ぎて、返事に詰まった。
「茶請けにいいだろう」
まな板の上の沢庵を指した土方さんが、次いで、釣り戸棚を示す。
「湯呑はあそこだ」
寄っていくのは決定事項らしい。
常なら反発心が芽生えかねない強引さも、今の私には有難い。
示された釣り戸棚の中、ずらり並んだ器のの中から、土方さんの湯呑を見つけるのは簡単だった。
藍屋の自室で、今も文机の上に飾ってある粉引きの湯呑と対となるそれを取り出すと、胸の内から甘いものが滲みだしてくる。
湯呑についた茶渋すら、使ってくれている証だとしみじみ嬉しい。
「その湯呑なんだが、な」
先に戻って着替えを済ませてくださっていいですよと言ったのに、なぜかそうせず、今も台所に残ったままだった土方さんに突然声をかけられ、びくりとする。
振り向けば、手持無沙汰に壁に凭れていた土方さんの眉が、僅かに寄った。
「なに赤くなってんだ」
「なっ、なってませんよ」
脳内の花畑を覗かれた気がして、汗が噴きだす。そこに草履を滑らせて近づいてきた土方さんの手が伸びてきて、人差し指で目元をなぞられた。
「
お前は、照れるとここが赤くなる」
「嘘っ」
「嘘じゃねえよ。よく見ねぇとわからねぇけどな」
三十年近く生きてきて初めて知った事実に、私は激しく動揺した。
今までずっとそうだったんだろうか。
自分は赤面なんかしないと思っていたのに。
でも、よく見ないとわからないって言ってるしっ。
てか、そんな微かな変化を見逃さないほど凝視しないで欲しい。
「擦ったって消えるか、阿呆。よけい赤くなるだけだろう」
無意識に目元を擦っていた手をとって、土方さんが笑う。
「おかしな奴だ、お前は。表情が薄いくせに、わかりやすい」
「沢庵っ! 沢庵切りますねっ」
「話の逸らし方もわかりやすい」
「・・・・・・」
重ねて追い詰められ、返すべき言葉を失った私は、土方さんの手を振りほどいて背を向け、無言で沢庵を切り始めた。
視線が刺さる。
笑われているのを気配で感じる。
「ここも、赤い」
「ひゃあぅっ」
平常心と自制心を必死でかき集めて作業していると言うのに、そんなことはお構いなしの土方さんに耳朶に触れられ、おかしな声が出た。
「ちょっとっ!やめてくださいよ。指切ったらどうするんですか」
「これしきのことで、そう噛みつくな」
「土方さんには大したことじゃなくても、私は気が散るんです!もうっ、先に部屋にいっててくださいよっ」
この調子で構われ続けたら、本当に怪我をしかねない。
そう思った私は、土間の出口に向かって、ぐいぐい土方さんを押しやろうとした。
けれど。
「一人にして置いたら、虫がつくかもしれんだろう」
そんなものつくわけあるかと反論しかけて、「虫」という単語がふとあの男を思い起こさせた。
比喩的意味での「虫」なら心配なくても、文字通りの「虫」ならあり得る。
ここは、新選組の屯所で、あの男がここにいることは先ほど確認済みで。
また、思い出してしまった。
背中を這う芋虫の感触。
お尻の方から頭頂部までぞわぞわと悪寒が走り抜け、生理的嫌悪に目頭が熱くなった。
「・・・やっぱりいてください」
涙目で懇願した私に、土方さんの眉間が地割れを起こす。
「・・・虫の付く心当たりがあんのかよ」
「虫を付けられる心当たりなら」
不審げに問われて返した答えに、土方さんは、益々眉間のシワを深くして、「意味がわからん」と呟いたけど、結局その後は揶揄することもせず、大人しくお茶の準備が整うのを待っていてくれた。
からかったり、戯れかかったりは、土方さんもするけれど、私が本気で嫌がったらちゃんと止めてくれる。
当たり前のことかもしれないけど、これがマトモな大人の対応だろう。
誰かさんにも見習ってほしいよ、ほんと。
さっきと同じように背中に視線は感じるのに、お湯の沸く音や、漂いだしたお茶の葉の香りとも相まって、その同じ視線に守られているような包まれているような、そんな気がして。
好きだなぁとしみじみ思った。
比べる対象が、酷過ぎる気が・・・若干・・・なきにしもあらずだとしても。
九十九話に続く