置屋にふらりと現われる時とはまるで違う、きっちり結われた髪。玉虫の袴、腰には黒鞘の大小。見る間に遠ざかる馬上で、裾翻る錦の羽織の背には、堂々たる三葉葵の紋所。
―――控えよ、控えおろうーーーっ
脳内で格さんが印籠を掲げているその前を、「殿ーーっ、お待ちくだされっ、殿----っ」悲壮な顔をした騎馬侍が駆けていく。
時代劇さながらの光景に驚きつつも、次第に、(ああ、やっぱり・・・)と納得の思いが満ちていていく。
ふと、視線を感じて顧みれば。
私と同く呆然とけいきさんの背中を見送っているはずの秋斉さんが、再び笑みを消した底の知れない目で、私を見ていた。
「秋斉さん?」
戸惑い呼びかけた私に、秋斉さんの薄くて綺麗な色の唇が笑みを形作る。
だけどそれは、目の奥がちっとも笑っていないせいで、逆に酷薄な印象を醸し出すだけだ。
「けいきさん、でしたよね、今の。なにかあったんでしょうか」
「ちぃとも驚かへんのやね」
私の問いかけに被せるようにして、秋斉さんは言った。
白い優美な手が、私の手首を捕まえて、有無を言わせぬ力で路地裏へと引きずり込む。
そのまま民家の壁に押し付けられ、至近距離で目の中を覗きこまれた。
抵抗しよう思えばできるのに、秋斉さんの常ならぬ乱暴な仕草と、冷たい視線にそんな気力も湧いては来なくて。
「もしかしてお前は、慶喜が何者か最初からわかっていたのか?」
笑わない瞳の奥はそのままに、訛りの消えた秋斉さんが甘い声で私を問い詰める。
端から見たら、恋仲の男女が愛を囁き合ってるようにしか見えないだろう。
「最初から、ではないです。でも、色々つなぎ合わせてみたら、なんとなくわかったというか・・・・・・」
「いつから」
短く問われ、「いつから気付いていたのか」と脳内で言葉を補って、私は答えた。
「もしかしたら・・・と思いかけたのは、去年の秋、くらいです」
謎めいた「けいきさん」の正体を掴むきっかけになったのは、芹沢さん粛清の夜に近藤さんがうっかり洩らした言葉だった。
「それで?お前が弾き出した答えは」
「・・・けいきさんは、『一橋慶喜』さんなんでしょう?」
刹那、秋斉さんの視線が地面に落ち、細く長く息が吐き出された。
「まさか、知ってて知らないふりなんてことが、お前にできると思わなかった」
見事に騙された、と苦く笑う秋斉さんに、少し悲しくなる。
騙すつもりも、騙したつもりもなかったから。
「けいきさんが、誰でも、私には係りないですから」
自分でも驚くほど、突き放したような声が出た。
秋斉さんの視線がとがる。
「本当は、それじゃいけないのかもしれないけど、けいきさんが幕府のえらい人だって知ったからって、突然態度を変えるようなこと、したくなかったんです。そんなこと、誰よりけいきさんが望んでおられないと思ったし・・・・・・」
自分の想いを説明するのは苦手だけれど、秋斉さんに誤解されたままでいるのは嫌だ。
何度も舌を彷徨わせ、伝えたい言葉を選ぶ。
「それに、人が隠したがっていることを、無理に暴き立てても、いいことないと思うんです」
―――ふ、
たどたどしい私の述懐を、黙ってい聞いていた秋斉さんは、吐息のように微かに笑った。
「なんや、釘さされとるみたいどすな」
「・・・・・・」
再び京都訛りに戻った秋斉さんの、隠し事の多い私へのあてこすりともとれる言葉に、眉尻を下げた。
「そんなつもりじゃ・・・」
「ええよ、わかっとる」
体
温の低い秋斉さんの指が、うつむいた私の頬をつるりと撫でる。
そのまま顎を掬い上げられ、合わされた視線の先、秋斉さんはいつもの優しい彼に戻っていた。
「いやらしことを言いました、堪忍しとくれやす」
謝罪の言葉を口にして、額に乱れかかった私の髪を一筋、整えてくれる。
「行かなあかんとこができたさかい、花見もまた今度や」
「慶喜さんのところ、ですか」
秋斉さんは、答えない。
襟元を正しながら、目元に笑みを含ませただけだ。
「秋斉さんと、慶喜さんってどういう・・・・・・」
続けて発しかけた言葉は、唇にあてがわれた秋斉さんの扇子に封じられた。
「『人の隠したがっていることを暴き立てて、いい結果がでることはない』」殊更ひそめた声で、先ほどの私の言葉を引用しする。
「あんさんの言うとおりやと思います」
にいっと唇の両端を引き上げた秋斉さんは、とても綺麗で、とても怖くて。
「今夜は帰らんかもしれんと、番頭はんに言うといておくれやす」
完全に呑まれた私は、言い置いて踵を返す秋斉さんの、すらりと優美な後姿を、ただ見送ることしかできなかった。