「人間はカミなしに生きられるのか?」
この問いに対して、神の存在自体を否定するのが無神論共産主義です。一方、絶対者の存在を意識し、神的存在への信仰なしには生きられないとするのが有神論者の立場です。
聖徳太子は「篤く三宝を敬え」と言いました。しかし昨今の日本では宗教を軽んじ、献金など意味のないことと考え、信仰的情熱をカルトと見なす傾向が顕著に見られます。 「怒髪天を衝く」ーー激しい怒りのあまり、髪の毛が逆立って空を突き刺すほどです。
小川榮太郎氏は「家庭連合への解散命令は司法の自殺」と言っています。刑事事件がなく、嘘や脅しによる献金などの犯罪行為もないのに、『国家の生け贄』として家庭連合が解散させられたことは、次なる宗教へのバッシングにつながる道を開いたのかもしれません。その1つが創価学会の財務問題批判として巻き起こっています。
どういうわけか、公明党は宗教団体を母体としながら、無神論者の中国共産党と足並みを揃えたかのように見えました。創価学会をはじめとする仏教界はどう考えているのでしょうか? 神はなくとも仏がいれば……。だから髪をなく(剃髪)して出家し、僧侶になる道を選ぶ選択肢もあるじゃないかというわけです。日蓮が神道の神々を崇拝していたことは、著書からも読み取れるようですが……。
聖書には人間と神様の関係性を髪の毛を通して表現しているような聖句があります。
彼はついにその心をことごとく打ち明けて女に言った、「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神にささげられたナジルびとだからです。もし髪をそり落されたなら、わたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう」(士師記16章17節 )。
デリラはサムソンから力の秘密を聞き出し、髪のふさをそり落させ、ついに力を奪うことに成功します。
また、全知全能なる神様は一人ひとりを見つめておられ、「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイによる福音書10章30節)という聖句もあります。
10月20日は「頭髪の日」。髪は長い友だちとも言いますが、あなたにとって、神は長い友だち? それとも……。
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