「女は弱し、されど母は強し」
 この言葉を知ったのは、たしか1992年韓鶴子女史による「世界平和女性連合」創設大会日本7か都市講演の時だったでしょうか。

  かよわい女性であっても、母親は強い。子どもを守るためならば母親はどのようにも強くなれるーーといった意味の言葉ですが、出典を知りませんでした。それが文豪ヴィクトル・ユゴー(1802~85年)の言葉だったとは。小学生の時に『ああ、無情(レ・ミゼラブル)』を読んで、良心的に生きることの大切さを教えられたものです。

  そのユゴーの作品はカトリック教会からは「堕落の文学」と悪しざまに言われ、むしろ人本主義者(ヒューマニスト)たちによって利用されてきた感があります。女性運動に関しても、どちらかといえば男性優位の社会と対立闘争する目的で政治的にあおられてきたイメージがなきにしもあらず。

  しかし「世界平和女性連合」が目指す女性運動は天の父母なる神様の存在を前提として始められたものです。それがいつしか国連NGOとして、世界各国でそれぞれの国に歓迎される形でボランティア活動が展開されてきました。女性連合の派遣員である日本人女性が現地で身を粉にして貢献してきたがゆえに、日本に恩を感じている国々も多いようです。

  資源の少ない日本が世界で孤立せず生きていくためには、一国中心主義では難しい。母親のような精神をもって、世界の国々をかき抱くくらいの腹を持たなければならないのではないでしょうか。 



  孤児たちを誰が抱くのでしょうか

 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネによる福音書一四章一八節)

  私はこの聖句が、自らの歩んできた道を一言で表現している言葉の一つだと思います。神様を知らず、人生の行くべき道も分からずにさまよっている人は、たとえ生みの親がいたとしても、まるで孤児のように生きる人です。彼らを神様の元に導くため、私は長い歳月をかけて歩んできました。

  ……(中略)……

  韓国大会が終わると、私は次の講演先として日本を選びました。 

  「この話を、日本の女性たちにも聞かせてあげなければなりません」

  「そうは言いましても……韓国語では、本来の意味がうまく伝わらないと思うのですが」
 「日本語で話せばよいのですね」

  「長い講演文ですし……日本語はあまり習われたことがない上、時間も迫っております」

  私は休むことなく練習し、講演文をすべて日本語で語れるようにしました。

  会場となった日本の東京ドームには、五万人以上が集まりました。日本の首都で、私が初めて日本語で講演すると言っても、人々は信じませんでした。それだけでなく、大会執行部はもしものときに備え、舞台袖に日本語を流暢に話せる韓国人幹部を待機させておいたのです。
 ところが、私が演壇に上がって口を開くと、日本人の聴衆はとても驚き、感嘆の声を上げました。感激のあまり、何度も立ち上がって拍手を送るほどでした。みな、最初は「どこかで間違うだろう、どこで間違うか?」と構えていましたが、私が一言一言、はっきりとした発音で講演する姿を見て、あちこちから驚嘆の声が上がったのです。

  私は疲れることも忘れて日本の都市十ヵ所を回り、日本女性の心をつかみました。

  通訳を使えばはるかに簡単だったでしょうが、私は日本語で書かれた講演文を、最初から最後まで、完璧に消化して伝えました。日本国民を孤児にしないため、徹底的に準備したのです。

  神様を知らず、孤児になっているということを、日本語ではっきりと伝えたのです。
(『人類の涙をぬぐう平和の母』第四章より)


あなたのおふくろの味は?

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 6月6日は「かえるの日」。今年(2024年)は第62回真の万物の日でもあります。菊池寛の戯曲に『父帰る』という作品があり、映画化・舞台化もされました。


 かつて家族を顧みずに家出した父が、20年ぶりに落ちぶれ果てた姿で戻ってきた。母と次男と娘はこれを温かく迎えたが、貧困と闘いつつ一家を支え、弟妹を中学まで出した長男・賢一郎は、決して父を許さなかった……。

 聖書の放蕩息子の喩え話と設定が逆ですね。新約聖書「ルカ福音書」に登場する、イエスが語った喩え話では息子のほうが家を出ます。放蕩の限りを尽くし、ついに家に帰ることを決意した放蕩息子を父親は歓迎しましたが、兄は父の態度に納得がいかず不満をもらすといった内容です。
 長年親孝行してきた兄よりも弟をひいきして、人間的に見れば不公平とも思える父親の態度に見えますが、堕落してさまよい歩くわが子が、親なる神の御下へ帰ることを何よりも喜ばれる神様であることを示す喩えとも言えます。
 話を変えるとしましょう。とあるお寺に行くと親子孫3代の蛙がいました。



 栄(さ)かえる
一、親子孫と三(さ)かえる
一、お金がかえる
一、福がかえる
一、病気が引(ひき)かえる

 3匹の蛙で「ミカエル」かと思わせておいて、「栄(さ)かえる」と縁起を担いでいるわけですか。世の中は御利益を求めて神社仏閣やパワースポットが人気ですね。
 イエスは40日断食後でも石をパンに変えることはされませんでした。この世の栄華を見せられてもサタンの誘惑に負けることはありませんでした。「岩はキリストにほかならない」(コリント第1の手紙10:4)とあるように、やはりキリストには代えることはできません。「キリストにはかえられません」と思わせておいて、「帰れわが子よ」をどうぞ。





雨の日の過ごし方を教えて!


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 神仏を崇めたり、歴史を研究したりするのは老後の道楽みたいなものだと言われることがある。そう批評する人は、それらをあまり価値視しておらず、ほとんど無意味な趣味程度に考えているからだろう。

  聖句には「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」(伝道の書12:1)とある。アニメみたいに『じいさんばあさん若返る』ということが可能ならば、焦る必要はないかもしれないが、霊界に旅立つ日が近づいてから真理を悟っても、できることは限られてくる。



 人生と宇宙の根本問題を解決する「統一原理」を学んだある女性は、「これを小学生の時に知っていたら良かったのに……」と残念がった。悩み多き小学生だったのだろう。昔も今も学校環境を取り巻く問題は深刻で、いじめによる不登校や自殺などにも、人間的対応だけでは限界がある。

  人はなぜ生まれてきたのか? 人生の目的は何か? 神様がいるなら、どうして不幸や罪悪が存在するのかなど。第一原因を知ることなしには真の解決は難しい。

   「いや、そもそも戦争を引き起こしてきたのは一神教を信じている人たちだろう」との批判もよく耳にする。歴史を紐解くと確かにそういう側面もあるのは事実だ。だからと言って、短絡的に一神教を信じるのは間違いだという結論にはならない。



 イエスやマザー・テレサなど、歴史上の偉人の多くは神様の無償の愛と赦しを知って、自らを犠牲にして世の中の為に生きた人たちだ。神様の本質を知る者が、自ら戦争や紛争を望むはずがない。堕落人間が自分に都合のよい神観を作り上げ、真の神様を知らなかったところに問題の原因があったのではないだろうか。



老後の趣味にしたいことは?


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 高知市長浜の若宮八幡宮。ここは長宗我部元親が初陣祈願をして以来、出陣戦勝祈願の社となり、建築様式も元親によって「出蜻蛉(とんぼ)式」に造り変えられました。




 トンボは別称「勝虫」とも言われ、「出蜻蛉式」の様式は上から見ると羽を広げたトンボのように十文字になっており、拝殿の入口が頭で本殿が尾先に見立てられています。



 これに対して凱旋の社である「土佐神社」は「入蜻蛉式」となっています。拝殿の形に注目してください。イエスの十字架とペテロの逆さ十字架みたいに見えませんか?

 さらに岡豊城近くの別宮八幡宮には、長宗我部元親が神社に奉納した「百足蝶蜂漆絵椀」があります。6月4日は「虫の日」。元親は虫と縁が深いようですね。



 「蝶」は「華麗な軍略」、「蜂」は槍仕事を「蜂の一刺し」に譬えたものとのこと。では、百足(ムカデ)は? お味噌汁を飲もうと思って持ち上げたお椀に、百足が這っているような絵があったら、思わず放り投げてしまいそうです。

長宗我部元親は織田信長の通達をも無視して四国統一へと向かいました。百足は「後退しない」、すなわち「中断なき前進」を意味するといったところでしょうか。



最近見た虫教えて!


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 将棋の若き天才、藤井聡太八冠に同学年のライバル現る。21歳の伊藤匠七段が第9期叡王戦で藤井叡王をカド番に追い込んだことに注目が集まっている。

 五番勝負の第4局が5月31日、千葉県柏市で指され、2勝2敗のタイに戻したものの、6月21日、甲府市で行われる最終第5局の行く方がどうなるか。藤井八冠は追い込まれながらも、同世代のライバル登場を喜んでいるようでもあった。



 ノンフィクション『いまだ成らず 羽生善治の譜』(文藝春秋)は、羽生善治や藤井聡太らトップ棋士が駒をぶつけ合う、盤上の一手に潜むドラマを活写している。50代の羽生九段が32歳差の藤井五冠(当時)とほぼ互角にわたり合った王将戦七番勝負のエピソードは記憶に新しい。

 もう一人忘れてはならないのが米長邦雄である。1993年(平成5年)、第51期名人戦で7度目の挑戦者となり、中原名人を降して、49歳11か月で初の名人位を獲得した。50歳での在位(50歳名人)は史上最年長記録である。名人就位式・祝賀パーティーで、次の挑戦者に羽生善治が出てくるのではないかと予言したことも有名だ。

 6月3日は「測量の日」。伊能忠敬は寛政12年(1800年)、56歳から日本全国の測量を開始した。73歳で亡くなると、その後は弟子たちが遺志を受け継いで『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。

 各分野において若き天才たちが現われてきている。将棋界も羽生さんの世代が「チャイルド・ブランド」と呼ばれていた時代から、大きく勢力図が塗り替えられた。

 それでも「2世時代の到来」「あとは若い者たちに任せて」などと言うなかれ。織田信長の「人生五十……」ではなく、今や「人生50歳から」の時代である。中高年の方々も、新しいことにチャレンジするのに遅すぎることはないはずだ。エイオー、叡王、エイエイオー。



地図を読むのは得意?苦手?

GGOのMさん

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