原因不明の病に悩む女子高生。病による影響を恐れ、幼少の頃から人との交流を避けてきたことで、根暗な女子高生になってしまったぞ。絵を描くのが趣味で甘いスイーツが大好き。


 TVアニメ『乙女怪獣キャラメリゼ』の主人公は赤石黒絵(クロエ)。9月6日は「黒の日」。少女漫画の常識を覆す、衝撃の展開が日本を襲う。謎の多いストーリーだ。


TVアニメ『乙女怪獣キャラメリゼ』

https://youtu.be/waOUdRPozDY?si=-T-ARdSPIukrnSgG


 ブラックミステリーといえば、大地震で海底に海没した「黒田郷」の話がある。『日本書紀』には実際に白鳳地震によって「土佐国の国司が津波により多くの船を失い、さらに五十万頃(現在の単位で約12平方キロメートル以上)の土地が海に没した」という、この伝説の元となった大規模な地殻変動(地盤の沈下)の記録が残されている。

 この「黒田郷」がどこにあって、どのくらいの広さだったのかについては諸説あるが、今だに謎とされている。

 『日本書紀』や、おそらく『日本書紀』を抄録したと思われる『土佐大震記』や『南路志』などの史料にも、「土佐国田苑五十万頃、没為海」という記述が現れ、「頃」は当時の面積の単位「代(しろ)」の当て字で、「五十万頃(代)」は現在の12平方キロメートルに当たるというのが一般的な解釈である。

 龍馬空港へ向かう道すがら、里改田の琴平山上にある琴平神社は俗に、「十市の金比羅さま」と呼ばれている。その昔、天智天皇が五穀の豊作と国民の幸福を願って、黒田郷に黒崎の宮を建てたのがはじまりで、天武天皇の白鳳13(684)年の地震で黒田郷が海中に没した後、浜改田の神田の地に金比羅大権現として祀ったとか。現在の地に移ったのは、寛永18(1641)年のことで、もとは臥龍山金比羅大権現といったが、明治元(1868)年改称して琴平神社となっている。


 祭神は大物主命であったが、維新後、崇徳天皇を合祀した。拝殿・本殿・絵馬堂・新庫など壮麗をきわめ、香美郡美良布神社とともに、県下の壮麗な神社の双璧とされており、絵馬堂には、河田小龍、宮田洞雪、今井小藍など郷土画家の大作が並んでいるという。



黒いものと聞いて思い浮かぶのは何?


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 「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない」(『ルカによる福音書』5章38節)とある。古い考え方にしがみついていた律法学者やパリサイ人たちは、イエスの新しい教えを理解することができなかった。その結果、2000年前には世の救い主を十字架に掛けてしまったのである。

 かく言う私も、新しく買い物する時に古いレジ袋に入れている。あまり使いまわすと破れてしまうこともあるので要注意。

 今は隠されてきた天の母が現れる時代であり、実体聖霊の働きが共にある黄金時代を迎えている。それゆえ、祈りの言葉も「天のお父様(Heavenly Father)」から「天の父母様(Heavenly Parent)」「ホーリーマザー・ハンに侍る〜(attending Holy Mother Han)」といった新しい表現へと変化している。

 真理そのものは変わらないとしても、その表現方法は復帰摂理の時代的恵沢とともに移行していく。イエス様もそのことで躓くことがないよう警告されたのだろう。

 例えとしては相応しくないかもしれないが、確率論における「モンティ・ホール問題」というものがある。次のようなルールだ。

 3枚の扉(A, B, C)があり、1枚だけが「当たり」、残り2枚は「外れ」です。プレイヤーが1枚の扉(例:A)を選びます。当たりの行方を知っている司会者のモンティが、残りの扉(B, C)のうち外れの扉を1枚開けて見せます(例:Cを開ける)。ここでモンティは、プレイヤーに「Bの扉に選び直しますか?」と尋ねます。


 実際に身近な人で試してみると、「初志貫徹」で「変えません」と答える人がいかに多いことか。ところが実際には、扉の選択を「変える」ことで、当たりを引き当てる確率が1/3から2/3に倍増するという、直感と論理が大きく食い違う有名な確率論のパラドックスなのだ。

 最初に扉を選んだ時点では確率は1/3だった。しかし司会者が外れの扉を開けた時点で、すでに“新しいぶどう酒”のステージへと移行している。実は残りの開けていない扉が当たる確率が2/3に跳ね上がっているのだ。古い固定観念にしがみついて落とし穴にはまることなく、「臨機応変」に扉を変更することも大切だ。



エコバッグ持ち歩いてる?

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串に刺さってだんご

串に刺さった焼き鳥

名前そのもの串カツ

串刺し三兄弟、チャン、チャン


 ひと昔前に流行った『だんご3兄弟』風に始めてみました。9月4日は「串の日」です。みんなの大好物が並んでいて、よだれが出そうなところ。でも、金子みすゞの詩的には「串に刺されてかわいそう」みたいな表現になるのかもしれません。


 イエスが誕生された時に、老預言者シメオンがマリアに語った不思議な預言があります。「この幼な子は……反対を受けるしるしとして、定められています。――そして、あなた自身も、剣で胸を刺し貫かれるでしょう」(ルカ福音書2章)。大学の聖書研究会でも疑問とされた聖句でした。


 先生は結局、五年の刑を宣告されました。裁判が終わった後に、私は先生に庭に出てきていただいて、準備していった昼食を差し上げました。そのとき、手首に手錠をかけて歩かれる先生の後について歩いたのです。引かれて行かれる先生と別れる私の心をどのように表現することができるでしょうか。

 再び上告しましたが、減刑されませんでした。そのとき、三十数人の食口たちは皆、離れていきました。「天から送られた人だと思ったのに、そうではなくサタン側の人だ」と言い、自分たちは先生にだまされたと恨んでいました。結局、私と金元弼(キム ウォンピル)さんだけが残ったのです。(玉世賢ハルモニの証言より)



 奇(く)しくもイエスに対して、祭司長や律法学者、民衆が嘲弄して言ったこととオーバーラップします。「もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう」。

 日本神話(『古事記』や『日本書紀』)ではクシナダヒメ(櫛名田比売・奇稲田姫)が登場します。ヤマタノオロチ(八岐大蛇)の生贄になるところを、スサノオは計略を用いてヤマタノオロチを退治するという討伐成功譚です。そんな勧善懲悪や「正義は勝つ」といった話は物語の中だけなのでしょうか。現実は思い通りにならないことが多々あります。 

 この時、玉世賢(オクセヒョン)ハルモニは胸を刺し貫かれるような無念さで、神様に祈ったと聞いています。使徒ペテロでさえ天使が牢獄から助けた(使徒行伝12章)のですから、再臨主をどうか助け出して下さい、と。すると神様から答えが返ってきたそうです。


 できもしないことを祈るな。文先生が刑務所から出た時に、共産党や迫害する者たちから命を守ることができるのか、と。人間の思いと神様のご計画はまったく次元の異なるものであったことを教えられたといいます。



好きな串ネタを教えて!


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 9月3日は「グミの日」。『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』をイメージしたぷにぷに食感のフルーツ味グミが8月24日に発売されました。島ならではのコスチュームに身を包んだおなじみのキャラクターたちがグミになった「島へようこそ!!グミ」。ちいかわランドで入荷すると一瞬で完売した幻のグミ。ちゃっかり妻も買ってきていました。

 パッケージの柄は2種類、ちいかわメイングループとセイレーン版です。映画を観た知人は、単なる討伐成功譚として楽しみ、あまり深い意味までは感じなかったようです。
 一方、セイレーンに共感した人もいるようです。わが子を失った母親の悲しみに感じ入るところがあったのでしょう。最初はセイレーンを怖がっていた妻も少し共感が持てるようになったと言っています。
 そして、体ピッタリの檻に閉じ込められるという話。妻は霊界のアダムとエバが永遠の苦しみの中にいるのだと感じたようです。聖書の失楽園の物語として記録されているがゆえに、彼らは霊界で肩身の狭い思いをしてきたことでしょう。
 ただし、モルモン教では堕落を肯定的に捉え、人間として生きるために、喜びを得るために必要なこととして解釈しているみたいです。ポジティブシンキング救済論といったところでしょうか。
 ところで「島へようこそ!!グミ」の味は3種類 パイン、キウイ、そして秘密のスイカ。グミ(具3)ということで、中身の具を3種類にしたのでしょうか。どうやらキャラクターはランダムのようです。
 ちいかわには独特の世界観があります。ヒュアな癒し系かと思いきや、「いや、私刑」と恐怖させる映画の話。日常のストーリーの中でも、愚民を支配する支配層の存在や討伐など。人間社会のリアルが癒しキャラを通してうまく描き出されています。

 まあ、あまり深刻にならず、リラックスして鑑賞してみてください。天の恵みが共にありますように。


柔らかいグミと硬いグミどっちが好き?


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 「ここは聖なる場所である。どうしてお前は靴を履いたまま、そこに来るか? 靴を脱げ」

 日本統一教会の初代会長として、その職を20年余り務めた久保木修己先生の受けた示現です。


 立正佼成会の若きリーダーとして将来を嘱望されていた久保木氏が統一原理を聞き、この道を行くかどうか決断する際、厚木の山に3日間籠り、断食祈祷をしたといいます。

 1月末の、極寒の山中です。1日目、2日目、祈っても祈っても、何の手応えもありませんでした。寒さは身に染みるし、腹は減るし、「やはり自分には宗教的な天分がないのだろうか?」と、気持ちも落ち込みます。

 3日目。さらに奥の沢へと移り、最後の決死的な祈祷を始めようとします。ある岩に心が惹かれ、それに腰掛けようとすると、その途端、先の「靴を脱げ」との声が聞こえました。久保木先生は劇的な神様との出会いを体験し、「こんなところでぐずぐずしておらず、さっさと山を降りて、お前の為すべきことをせよ」という声を聞いたのです。

 9月2日は「靴の日」。聖書に通じている人ならお気づきかもしれません。ホレブ山(シナイ山)でモーセが燃えても燃え尽きない柴を見て近づいたとき、神の声が「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である」と告げた故事を連想させるエピソードです。

 その後、久保木先生は米国からやって来た映画『十戒』を見て、驚いたといいます。

 「なんだ! モーセがシナイ山で体験したのは、私とそっくりではないか!」

 山上での40日断食の後、神は灼熱の炎の姿でモーセの前に現れ、旋回して眼前の岩に一直線にぶつかって、文字を刻んだのです。それが十戒でした。

 久保木先生の場合、「さっさと山を降りよ」という声を聞くのですが、その言葉を聞いた途端、不安がよぎります。

 「一体、自分一人で何が出来るというのか?」

 すると、声は激しく叱るように響きます。

 「どうしてお前ひとりでやると思うのか? お前が行くところには、いつでも必ず私が共にいる。それを忘れるな」

 それが久保木先生の、新しい人生の霊的な出発となったのです。

 一方、モーセは神から「イスラエルの民をエジプトから救い出せ」と命じられた際、「私は口下手で、言葉が苦手です」と拒みました。そこで神は、雄弁だった兄のアロンをモーセの代弁者(口)として任命しました。エジプトの王(ファラオ)とのタフな交渉の場では、主にアロンがモーセの言葉を民や王に伝えました。

 何事を成すにも不屈の精神が必要ですが、共に歩んでくれるパートナーも重要です。靴ずれしないピッタリと寄り添う相棒を発掘できたら、理屈としては最高なのですが……。



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