7月19日は「松阪牛の日」。松阪牛(まつさかうし)が人気となった背景には伊勢神宮が関係しているとか。お伊勢参りの途中に食べるのが松阪牛で、参詣客の口コミにより、肉の王様みたいになったようだ。
伊勢神宮については『詳説日本史 改訂版』(2017年)に、次のように書かれている。672年の壬申の「乱の際に勝利を祈願した伊勢の神が、国家的な祭祀の対象となった(伊勢神宮)」(P39)。 「鎌倉時代末期になると、鎌倉仏教の影響を受けた独自の神道理論が、伊勢外宮の神官度会家行によって形成され、伊勢神道(度会神道)と呼ばれた」(P116)。

また、江戸時代の伊勢参宮に関して、『高知県史・古代中世編』には、春野町に「国史見在社」の伊勢神社(高知市春野町西分3531)が認められることから、土佐における伊勢信仰は、古代から始まったとある。同書にはまた、「中世初期に伊勢参宮が武士・地侍が主体であったものが、後期にはいると一般の農民の参宮も行われるようになった」とある。やがて庶民も直接に伊勢まで参宮に出掛けるようになったのである。
江戸時代には、慶安三年(1650年)、宝永二年(1705年)、明和八年(1771年)、文政十三年(1830年)などに、全国的な伊勢への「おかげ参り」が行われた。中でも宝永二年のものは有名で、362万人の参詣者がいたという。当時の全国の人口は約三千万人といわれるから、いかにすさまじい勢いで庶民が参宮を行っていたか、容易に理解できる。
坂本龍馬の先祖である才谷屋の日記には、伊勢参宮の様子が記録されている。
享保六年(1721年)六月十四日に参宮のために、浦戸を出港して、二十四日に大坂に着き、そこから伊勢や京都に行き、閏七月三日に浦戸へ帰っている。その後、享保十四年三月にも参宮に出掛けている。この時は、北山越えの道をとり、阿波へ入国して、三月八日に讃岐の金毘羅宮を参拝。仏生山へも行き、高松から丸亀ヘのコースをたどり、岡山へ出て山陽道の旅を続けて十七日に大坂に到着。同二十五日に大坂を出て、奈良吉野へ寄り、三十日に伊勢中川原に着く。参宮を済ませて四月二日に伊勢を出発し、六日に京都へ行く。十二日に京都を出て伏見で夜船に乗り、翌朝に大坂に到着した。同十七日に有馬へ行っているが、旅の疲れを癒やすための温泉行きだったと思われる。二十日に大坂に戻るが、二十四日には「今度西土イリ来ル象見物仕」とあるように、西洋から日本へ送られて来た象を見物している。日記には何の感想も述べられていないが、おそらく、見物人は皆、驚きの声を上げたに違いない。
五月四日に大坂を出港し、五日の夜浦戸へ到着している。

果たして彼らは、伊勢参宮の際に松阪牛を食べただろうか。おそらく「否」である。江戸時代においては牛肉を食べる風習すらなかったとされる。
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