金川さんと共にあゆむ会のブログ

金川さんと共にあゆむ会のブログ

無実の死刑囚・金川一さんを取り戻そう!
kanekawa0707@gmail.com

 ●1948年12月30日
 熊本県人吉市で強盗殺人事件「免田事件」が発生。同事件の被疑者として3日にわたる拷問と脅迫により「自白」を強要された免田栄さんが逮捕・起訴され死刑判決が確定したが、後に再審で無罪が確定。事件発生から34年6か月後のことであり、国内初の死刑冤罪再審無罪だった。
 参照
歴史の中の冤罪事件 ~7月・8月の出来事~

 


 ●1953年11月5日
 徳島ラジオ商殺し事件発生。徳島市の三枝電気店で店主の男性が殺害され、内縁の妻も負傷した強盗殺人事件で、検察は事件から8か月後に住み込み店員だった少年2人を別件逮捕、長期間拘束した上で偽証を引き出し、妻の冨士茂子さんを逮捕。冨士さんは無実を訴え続けるも財政難から上告を取り下げ1958年に懲役13年が確定。その後、元店員が「検事に強要されて偽証した」と告白、さらには真犯人を名乗る人物が自首したが不問に付された。冨士さんは服役中・仮釈放後も一貫して無実を訴え続けたが、第5次再審請求中の1979年に死去。姉弟が引き継いだ第6次再審請求により日本初となる死後再審が開始され、1985年に冤罪を晴らした。


事件をテーマにした映画、  山本薩夫監督「証人の椅子


 ●1975年11月22日
 韓国でKCIAが「学園浸透スパイ団事件」に関する「事件の構図」を発表。徐勝(ソ・スン)氏ら関西地方から留学していた在日韓国人留学生18人を「北のスパイ」に仕立て上げ、国家保安法違反容疑で逮捕。立件された16名に死刑を含む有罪判決。立件から35年以上たった2012年以降に再審無罪が次々と確定している。

 


 ●2020年12月5日
 「免田事件」で死刑判決を受け、6回に及ぶ再審請求のすえ国内初の死刑冤罪再審無罪をかち取った免田栄さんが、福岡県大牟田市で死去。95歳。
※1948年12月30日の項を参照

 

 

 

作品紹介 「アマリリス」 (2024年3月6日)

 

【同封の手紙より 抜粋】

 

 寒さがまだつづくようで、早く春がくるのをまちどおしです。

 今の世の中 毎日暗いニュースばっかりです。獄中も暗い所にかわりありません。

 死刑囚の身であれば、まだ春は先のこと。自分もいつか 皆さんとともに笑顔であえる日がくるだろうか?

 赤堀さんが亡くなられたこと、新聞の記事で知り、本当に残念でなりません。ごめいふくをお祈りしたいと思います。もうすこし長生きしてもらいたかったですね。

 

 真実さんにいつも願いごとばかりしてすみません。モウフ送って下さりありがとうございます。すごくきれいなモウフ、うれしく思います。

 3月5日、外は雨がふっています。太宰府も同じだと思いますが、まだひえこみますので、お体を大切にして元気でいて下さい。

 

 絵、2枚同封します。

 歩む会だよりありがとうございます。

 面会日を楽しみにしています。

 

2024年3月6日

金川 一

 

 

歴史の中の冤罪事件 ~9月・10月の出来事~

(『歩む会だより』第38号より転載)

 

 

 ●1899年9月19日
 終身刑で服役中だった元フランス陸軍大尉ドレフュスが、新しく就任した大統領エミール・ルーベの特赦により釈放。最終的に無罪判決が下りたのは1906年のことだった。ドレフュス事件とは、19世紀後半の経済不況にともなう国家主義・反ユダヤ主義の台頭を背景に、当時フランス陸軍参謀本部所属のユダヤ人、アルフレド・ドレフュス大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件であり、世界三大冤罪事件の一つに数えられている。

 

 

 ●1955年10月18日
宮城県松山町(現・大崎市)で一家4人が殺害され放火される「松山事件」が発生。捜査が暗礁に乗り上げ焦った警察は、「犯行当日以降に地元を去った」という理由だけで東京で勤務していた斎藤幸夫さんを別件逮捕し、拷問的取調べにより自白を強要。警察は血痕を捏造して「証拠」とした上、留置所にスパイを送り込み「取調べで罪を認め裁判で否定すればいい」と自白を促したことも明らかになった。最高裁で死刑が確定したが、1984年の再審で無罪判決が下され、28年7ヶ月の獄中生活に終止符が打たれた。日本四大死刑冤罪事件の一つに数えられる。


 

 ●1966年9月9日
 静岡県清水市(現静岡市清水区で発生した味噌製造会社専務一家4人強盗殺人・放火事件である「袴田事件」で、静岡県警清水署が逮捕した袴田巌さんに「自白」を強制。警察は当初から同工場の従業員で元プロボクサーの袴田巌さんを犯人と決めつけ、8月17日に逮捕して以降、猛暑の中で連日連夜の取調べを行い、トイレにも行かせない状態で「自白」に追い込む。9月9日に起訴したが、その後も取り調べは続き、自白調書は45通に及んだ。その間、弁護人が袴田氏に会った時間は総計30分程度だったという。1980年に死刑が確定した。


 

 ●1976年10月12日
 四大死刑冤罪事件の一つとされる財田川事件について、最高裁が再審を認め、審理を高松地裁に差戻し。再審史上画期的な「財田川決定」として知られる。8年後、1984年の差戻し再審裁判で高松地裁が死刑囚・谷口繁義さんに無罪判決。1950年の逮捕から34年目のできごとだった。
 

 

 ●1979年10月15日
 大崎事件。鹿児島県曽於郡大崎町の農家で家主の遺体が発見され、同月中に被害者の長兄夫妻・次兄・甥が逮捕され、殺人・死体遺棄で起訴。「主犯」とされた長兄の妻・原口アヤ子さんは一貫して無実を訴えたが、知的障害、精神病を持つ他の3人が捜査段階で「自白」させられ全員が有罪確定。原口さんは出獄後に再審請求を行なうが、今年6月5日、4度目の再審請求も棄却された。
 

 

 ●1999年10月8日
 甲山事件第二次上訴を検察が断念、無罪確定。1974年3月19日、西宮市の知的障害者施設「甲山学園」の浄化槽から幼児2名の遺体が発見され、殺人容疑で保母が逮捕。証拠不十分で不起訴となったが、検察審査会の「不起訴不当」議決により再逮捕。無罪確定まで25年もかかった。
 

 

 ●2009年10月5日
 冤罪足利事件について、最高検次長検事・伊藤鉄男が検察庁として謝罪。検察が再審前に無実を前提として謝罪するのは異例だが、菅谷氏は「わたしの目の前で謝罪すべきだ。絶対に許さない」と語った。なお、その直後に退職した伊藤は天下りの王道を歩んでいる。


 

 ●2015年10月4日
 名張毒ぶどう酒事件で殺人犯にでっち上げられた冤罪死刑囚・奥西勝さんが八王子医療刑務所で無念の獄死。享年89歳。1961年に逮捕されて以来一貫して無実を主張、生前9度にわたる再審請求を起こしたが全て棄却、奥西さんの死後に妹が申立てた第10次再審請求も棄却されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金川さんとともにあゆむ会が発行する通信『歩む会だより』の第40号を発行しました。

現在発送作業に取りかかっています。定期購読の方、もう少しお待ちください。

福岡拘置所の金川さんから年賀状が届きました。

 

 

ちょっと言葉使いが間違ってますけど、心がこもった文章をありがとう。

金川さんもいい年になりますように。

 

 

 11月2日の面会で、10.21に開催された講演会「非行少年の『被害』から死刑廃止を考える」(主催・死刑廃止タンポポの会)の様子を金川さんに伝えました。

 

 講師で熊大教授の岡田行雄氏は、自らの幼少期の経験から、いわゆる「非行少年」の置かれてきた環境と「犯罪」との関係性、国家の処罰権…等々について研究するようになったとのこと。

 重い「犯罪」を犯した少年のほとんどが虐待やいじめなど被害の積み重ねを受けており、それに対する適切な支援もない状況の中、ついに追い詰められて「犯罪行為」に至り、また、警察・検察・裁判所は当該少年の背景をほとんど考慮しないことなど、永山則夫元死刑囚の生い立ちなども紹介しつつ明らかにしました。

 これらの事実を掘り下げ、少年の被害に対する適切な支援や「埋め合わせ」の責任は国にあると結論付けました。

 岡田氏は、金川さんの事件で現場にあったはずの「血の付いた鎌」が、その後なかったとされたことについて、「警察が隠匿・処分したんでしょうね」と語っています。
 

 以上の報告に対し、金川さんは「いい人に出会ったら社会に貢献もできる。それがないから道を外してしまう。しかしその時には本人にも分からん」「罪を犯した本人だけを調べても分からん。本人にも分からんからね」と、自らの体験から出ているような感想を述べました。(Si)
 

 

 

 

金川さんから早めのクリスマスはがきが届きました。

金川さんこそ お体に気をつけて!(マミ)

 

作品紹介  「心の花」 2023年11月22日


先日、福岡拘置所での面会を終えて面会室から去っていく金川さんの足取りが弱々しいのに気づきました。心配です。

お互い年は取りたくありませんね笑(マミ)

 

 

 

 

 


 イスラエル軍がガザ地区住民に対する大規模空爆を開始し、さらにガザ地区への地上侵攻に向けた準備を進めています。死者は数千人に上っていると報じられています。

 メディアは露骨なイスラエル寄りの報道姿勢に終始し、これまで日常的に強行されてきたイスラエル軍による虐殺などまったく触れることもなく、あたかも「ハマスが原因」であるかのような主張を繰り返しています。

 現在までイスラエルはエルサレムやヨルダン川西岸における暴力的入植を押し進めてきました。ガザ住民に対しては分離壁をもって「天井のない監獄」とも呼ばれる現実を20年にわたって強制しつつ、ことあるごとに空爆を繰り返して市民を殺害してきました。絶対に許す事はできません。

 私たちは、国際的なパレスチナ連帯運動と結びつきながら、極右ネタニエフ政権・シオニストによるホロコースト行為に断固として抗議していきます。

 

2023年10月15日

 

(『歩む会だより』第38号より転載 一部訂正)