歴史の中の冤罪事件 ~7月・8月の出来事~ | 金川さんと共にあゆむ会のブログ

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歴史の中の冤罪事件 ~7月・8月の出来事~

(『歩む会だより』第37号より転載)

 

 

●1961年8月8日
 戦後最大の冤罪事件に数えられる松川事件の高裁差戻し審で、被告人全員に無罪判決が下る。



 1949年8月17日に福島県の国鉄東北本線で列車が脱線転覆した松川事件で、捜査当局は当時の大量人員整理に反対する東芝松川労組と国労の共同謀議と決めつけ20名を逮捕・起訴。他方で捜査当局は真実のもみ消しや「真犯人」逃亡に協力する動きも見せていた。労働運動弾圧のためにGHQや警察が仕組んだ自作自演の謀略事件という見方が主流である。
 

●1977年7月7日
 加藤老事件の犯人とされた加藤新一さんが、6度にわたる再審請求の末に無罪判決をかち取る。事件発生から62年目。加藤さんは1915年の強盗殺人事件で冤罪逮捕され、両人差し指と腰の骨を折られるなどの拷問を受けながらも一貫して容疑を否認したが、「証拠」をでっち上げられ無期刑を言い渡された。

 

 

●1983年7月15日
 免田事件再審裁判で、熊本地裁八代支部が死刑囚・免田栄さんに無罪判決を言い渡す。事件発生から34年6ヵ月、6度の再審請求を経て実現した国内初の死刑冤罪再審無罪だった。「四大死刑冤罪事件」のひとつに数えられる。1948年12月30日に熊本県人吉市で発生した一家4人強盗殺人事件で、警察は翌49年1月13日に免田さんを別件逮捕。3日にわたる拷問と脅迫により「自白」を強要したのち、16日には強盗殺人容疑で再逮捕。52年に死刑が確定していた。




●1984年7月11日
 松山事件の再審で死刑囚・斎藤幸夫さんに無罪判決。28年7ヶ月ぶりに出獄。1955年に宮城県松山町で発生した放火殺人「松山事件」で、捜査の難航に焦燥した警察は、東京で勤務する斎藤さんに「犯行当日以降に地元を去った人物」という一点で疑いをかけ、示談成立済みの喧嘩を「傷害事件」に仕立て上げて「東京に家出」と偽り別件逮捕した。警察は「証拠」として布団の血痕を捏造、さらに留置所にスパイを送り込み「取調べで罪を認め裁判で否定すればいい」と自白を促した事実も判明。「四大死刑冤罪事件」の一つとされる。


 

●1985年7月9日
 徳島ラジオ商殺し事件の再審裁判で徳島地裁が故・冨士茂子さんに対し無罪判決を下し、国内初の死後再審無罪となる。冨士さんは服役中・仮釈放後とも一貫して無実を訴え続けたが、第5次再審請求中の1979年に死去。姉弟が引き継いだ第6次再審請求で再審開始が決定し、1953年の事件発生から32年目にして冤罪を晴らした。




●1986年8月27日
 梅田事件再審で釧路地裁が逮捕から34年目の梅田義光さんに無罪判決を下す。梅田事件は1950年と1951年に北海道で発生した2件の強盗殺人事件。当初逮捕され自供した人物による「一件目の実行者は梅田」との虚偽「自白」で逮捕された梅田さんは、北見市警に殴る蹴るの拷問をうけて自白を強要される。ただちに否認に転じて検察に無実を訴えたが否認調書さえ作成されなかった。裁判で無期刑となり、1971年に仮出所していた。