ベトナムの歴史について書いていますが、今回は李朝(1010年~1225年)の時代に建立された天福寺(chùa Thầy)を紹介いたします。

 師寺は兄寺と呼ばれ、漢字では「天福寺」という名で、ハノイ市国威県柴山社(xã Sài Sơn huyện Quốc Oai Hà Nội)にある。

 伝説によると、寺は李朝時代に建立され、師山の西南の山腹に建つ。

 現在の寺の光景には、各世紀の後半には、何度も修復されている

 寺の前方の右側は、龍斗の先端に当たる。師山と龍斗の間には大きな沼があり、龍詔という名でよばれている。沼の中央には奇麗な水亭がある。

 ベトナムの寺には、薬師如来が多く祀られている。

 いつも水上人形劇(発祥の地)が演じられる場所である。

 対の古い橋には、「上は屋根、下は橋(Cầu)」、三つの橋桁で屋根を隠す(1602年に造られた)。寺の外方は美しい容姿を増している。

 ベトナムの古い橋は、屋根付きが多かったようです。カウザイ区という地域がありますが、このカウザイは漢字で紙橋です。橋の上で紙を扱う商人が多かったそうです

 裏山は、小高い岩山です。通訳兼案内のThuyさん。

 勝景区の正式な建築群は、大きな緑の石の基礎の上に、大きな寺(chùa Cả)の大きな家は三階層に建立されている。

 外の階層は前亭になり、中間層は仏を祀り、祭壇の中央に徐道行(Từ Đạo Hạnh)を祀り、広い幾つかの塔には古い経が収められている。

 寺の中には、徐道行禅師の3つの姿像がある。

 禅師像は蓮の花の帽子を被って、胸の前で手を合わせ、金の錦の上着を肩にかけた像である。

 像は、蓮の花が彫られた貴重な石の台座の上に安置されている。左側には手足が白い白檀の木で彫られた禅師像があり、手足や体を嵌め込まれた鎹がある。

 伝説によると、山の頂上にある香海庵(am Hương Hải)で修業するとき、禅師は興奮して踊ったり、病気に罹らない薬を作り、人を救い、民に娯楽を与えた。

 右側には生まれ変わりの李神宗王(Ly Thần Tông)になったときの禅師像がある。皇帝の着用する衣服を肩にかけ、頭に帽子を被り、金のガーイ(Ngai)に座っている。

 

 寺の中には禅師の両親の像があり、ガーイの上に安置され、ガーイの背中に、儒教(Nho giáo)、仏教(Phật giáo)、道教(Đạo giáo)を表徴する絵柄が、複雑に整理された多くの形が彫られている。一本ずつ扇の骨に彫られた、水状の花の紋と共に、後方に1346年代と書かれている。

 寺の祭壇の両サイドには、18羅漢が並べられ、後方には、階上に古い丸い鐘が吊るされた楼鐘がある。伝説によると、李朝時代に鋳造され、階層に太鼓があり、大きな太鼓は、直径15mもある。

 天福寺(chùa Thiên Phúc)の周辺には、仏跡(Phật Tích)洞窟、(Cắc Cớ)、(Gió)、更に、高寺(chùa Cao)、上祠(đền Thượng)、一櫓寺(một Mái)、隆経(Hoàng Kinh)がある。

 

 寺は険阻な裏山や洞窟があり、ハイキングに絶好です。

 ハノイ市内から車で小一時間、近くには、西方寺(chùa Tây Phương)という古い寺もあり、一日で両方を参詣できます。また、徐道行(Tứ Đạo Hạnh)禅師は、ハノイ市内の朗寺(chùa Làng)にも祀られており、その近くには両親を祀る寺もあります。