グスタフ・マーラーの完成を得たる歌唱付き交響曲「大地の歌」の第五楽章の日本語版を作成せんとす。
「春に酔へる」
よしや世、夢に似たらば
何ぞ、悩み憂へありや
いざ飲まな、酔ひ痴れるまで
ひねもすを、これ宴とす矣。
さても飲む能はず、胸につかへ
身も心も、飽きたれば
そのざまに、あくがれ出づる
さてい寝ん、地を枕にて。
何かは聞く、酔ひより醒めて
聞かな矣。鳥あり矣。歌ふは枝に
いざ問はん、待ち侘びし春来たりしか
我れはそも、我れはそも、夢見心地なる。
鳥達、これいらへ為す、さり矣。さり矣。
春こそは、春こそは、こゝにあり、夜の闇を越えて
魂の奥処より、我れは聞く
鳥は歌はん、さては笑へ、さては笑へ矣。
今や満たさん、盃に酒を
さて干さな、皆までも
またも歌はな、月の照るまで
暗き闇夜にて矣。
さても歌ふ能はず、胸につかへ
さらば、こゝによみがへりのすべ
如何んぞ、我れにとり春とは
たゞに酔へるのみ矣。
たゞに酔へるのみ矣。
これにて、マーラーの歌曲訳を終了す。なほも「大地の歌」は一曲を余せど、これは手を着けず、敢へて未完と為す。
何となれば、我が文化を滅ぼさんとする現政治権力に抗はざるべからざればなり。
現政治権力は、我が文化の魂を抜き取り、永遠に封じ込めんとしゐたれ。
そは、官僚の中の官僚と云はれし故岡崎久彦、(何ゆゑ官僚の中の官僚と云はれしか、そは、英国に大秀才と称へられしに因るのみ。)
これ、三浦大介など云ふ戦国の武将を取り上げて、輝かしき武勲にも係はらず、世に知らしめられざりし政治的意図を譬へに、
我が文化をも封ぜんと宣はつた事に由来し、その路線は隠然と継承されつゝありと考へらるればなり。
よつて、故意に完了させざるなり。次回より、バッハを訳し、次第に時代を下らんとす。
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