審判奇譚 第八章19 | 神鳥古賛のブログ

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古典。読めば分かる。

 「大い弁護の士達とや。」とK問ひぬ、「さても、そは、如何なるひとびとなる。如何にしたらば、その者らに会ふを得んや。」と。


「さらば、御前さま、未だ彼れらの事を聞き及びにならざるとなん。」と商うど云ふ、


「彼れらの事を聞き及びなば、しましく、そを夢に見ずと云ふ訴へられし者、これ一人とてあらずとも云ふを得べし。


さりながら、さる惑はかしにをこつられざらんかた良けれ。


大い弁護の士たる、これ何びとなるか、それがしも知り申さず、彼れらに会はんとするは、蓋し、およそ叶はざるべき事ならん。


それがし、知り及ぶ限りに於いては、彼れらの手懸けしと定かに云ふを得べき物沙汰、これひとつとてあらず。


訴へられし者によりては、彼れらの弁護にあづかる者もあれど、此方より望んで為さしめんと思ふとも、そは叶はざるなり。


己が弁護為さばやと思ふ者のみを弁護為すものなればよ。


さはれ、しかるべく彼れら、弁護を承け引かんとする事のわづらひたる、既にして下もざまの裁きの司の及び無からんきはに至りたらんは疑ひ無し。


さはさりながら、彼れらが事は思ひ浸めざらんかた良かりしなり。


しからざらんに於いては、余の弁護の士との談合、その諌め、また骨折りなどを、いとも乱りがはしう益無きものに思ひ成らんとすればよ。


それがし身みづからが來経たる境ひながら、すべてを投げ遣りにして、うちなる寝台に臥せりて、はや何事も耳にせざらんに及く無しと思ひ成るべければなり。


さりながら、こはそも、烏滸がましうも徒ら事ならんは云ふに及ばず。


寝台に臥せりたりとて、思ひ長閑めていつまでか、ながらへ渡り得るものにはあらざれ。」となん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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