審判奇譚 第七章71 | 神鳥古賛のブログ

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古典。読めば分かる。

 「荒ら野の眺めなり。」と絵師云ひ、Kに絵を差し出だしぬ。


二もとなる木、弱々としたる、描かれあり、それらは黒みたる草はらに離ればなれに立ちゐたり。


絵のあなたは色くさ尽くしたる入り日の有りさまなり。「佳きかな。」とK云ふ、「賜はるべし。」と。


さしたる思ひもなきまゝに、いとすげなく云ひ放ちしかば、絵師、これを悪しとも受け取らずして、次なる絵を床より取り上げゝれば、彼れもさて息をつきぬ。


「これ、さきの絵とは趣きいたく異なる品なり。」と絵師云ひぬ。


趣き、事と異ならせんとて描きたるやも知れざれど、さきの絵に比ぶるに、何らの変はる処なく、これに木ありと思へば、こなたに草はらあり、かしこに入り日ありと、さるさまに過ぎず。


しかはあれ、さる事、Kには如何ばかりかは。「美しき眺めなるかな。」と彼れ云ふ、「ふたつながら賜はりて、事執るの間に飾らなん。」と。


「絵の題とせる心、殊にも好ませしやな。」と絵師云ひ、更なる絵を取り出だし、「善きかなや、こゝに今ひとつ似たる絵あり。」となん。


しかるを、これ、似たると云ふべきにや、むしろ紛ふ方なく等しき荒ら野の眺めなるなり。


絵師、これ、古き絵を売らんとする此の良きをりを思ふさまに活かさんとしたるなり。


「これも、賜はるべし。」とK云ふ、「三つにて如何ほどなる。」と。


「その事につきては、次のをりに。」と絵師云ふ、「汝れには急ぎの事もあらうず、更に我れらは、とまれかくまれ、繋がりをもてればよ。


さもあれ、絵、これ心に入らせられしは、喜ばしきかな。これなる、下たに置きある絵も、すべて奉らんず。


いづれもは、荒ら野の眺めなるばかり。我れ、はや既にいくばくぞや、荒ら野の眺めを描き来たりしは。


剰りに暗くいぶせくて、かゝる絵、あなうたてとて、否みたる者ら、あまたありしかど、余の人びとには、汝れも其のひとりなるが、将に、この暗きいぶせさをこそ好ませられけれ。」と。


しかはあれ、K、かたゐの絵師のなりはひ話の如きに心そゝらるゝ事、わづかとて無かりき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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