ラフマニノフの鐘 | 神鳥古賛のブログ

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古典。読めば分かる。

露西亜の作曲家、アレクサンドル・グラズノフには完成されし八曲の交響曲あり、第九番も作曲せんとしつゝありしかど、因縁の第九なりしかば逡巡しゐたりしに、未完に終はりしとなり。

グラズノフの交響曲は浪曼派の軟体動物の如きが主流なれば支持せざる処なれど、交響曲第七番のみは、主題を二たび三たび繰り返す循環技法によつて古典的印象を受く、但し、古典の価値を得んには演奏に工夫を要したるべし。

この作品は、グラズノフみづから「田園交響曲」と名付けゐたれど、ベエトオヴェンのそれと混同されんは作品の独立性を妨げん、「ロシア風景」などしたら良からんか。

同じく露西亜の作曲家、セルゲイ・ラフマニノフの交響曲は三曲あれど、これも浪曼派の得体の知れぬものにして評価する能はず。

しかるに、ラフマニノフには別に合唱交響曲「鐘」あり、他に管弦楽伴奏付き歌曲「三つのロシアの歌」やカンタータ「春」などありき。

その管弦楽伴奏付き歌曲はマーラー並みの色彩感ありて、マーラーの管弦楽伴奏付き歌曲に匹敵する作品と云ひても過言にはあらざるべし。

これら管弦楽伴奏付き合唱曲はいづれもラフマニノフの代表作、ピアノ協奏曲と伴に作曲され、カンタータ「春」はピアノ協奏曲第二番と同時期に作曲され、合唱交響曲「鐘」はピアノ協奏曲第三番、「三つのロシアの歌」はピアノ協奏曲第四番と伴に作曲されつ。

カンタータ「春」は稍やオペラに傾きたるのきらひあれど、「三つのロシアの歌」の佳作なるとも短きが惜しきに、両曲をカップリングせんが良からんかと思ふなり。

この両曲はいづれも恋を主題としたれど、およそ音楽はそれを想起せしめず、いづれも雄大なる自然の殊に春の恵みを慈しむが如くなり。

合唱交響曲「鐘」は、エドガア・アラン・ポオの詩に作曲したるものにて、一楽章は開始に相応しく華やかに颯爽たり祝福の気分に満ちゐたり、二楽章は靉靆たる朝霧のうちより壮麗に鐘は響き、静穏にして雄大なり。

三楽章は騒擾なす叫びを伴つて不安と争闘と相せめぎ、終楽章は子羊らを率ゐる聖なる父の如き声は響きて、人々は稍や安らぎを得つゝも、長く厳しき旅路を暗示するがに薄明の地平に静かに終曲を迎へつ。