あざといタイトルですな。ネトウヨさん、いらっしゃるかしら。

 

 再度、先の大戦と天風会

 http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10165995081.html

 などのエントリーで、これまで(戦後の)日本社会が戦争をどう見てきたのか、を考えてきました。

 そして、「戦前の日本が絶対に悪」といっている人もみたことないし、左派ばかりでなく東亜・太平洋戦争(えー、「大東亜戦争」と、「十五年戦争」や「アジア・太平洋戦争」という呼称の折中案です)は、よくなかったと言っている人は多いよ、というお話の続きをしようと思ったのだけど、ここはちょっと別の角度からの話。


 「日教組の教育が悪かった」という比較的若い人たちに、「ところでさ」と別の視点を提示する試みです。


 わたしぐらいの歳だと、日教組の強い時期に小学校・中学校に通っていたのですね。小学校の担任は作文教育に熱心な人で、週に2編以上の作文を書かせ、それをガリ版で刷ってまた教材にしました。段落分けだとか段落ごとに要旨をまとめるとかいう授業もたくさんやりました。これだけ国語を仕込まれると、他の教科全般もまあまあの成績になるから、初等・中等教育の範囲は楽だったよ。

 そういうわけで、その先生は父母の信頼も篤かった。小学生の時分、あるとき母親に「先生は日教組に入っているのかなあ」と聞いたのです。その頃、毎日新聞で「教育の森」という大連載をしていたのを読んでいましたから。

 そうしたら母親がこともなげに「普通、入っているんじゃないの」と答えました。だからわたしは日教組って特別に政治的な人が入るものという印象はないんですね。もちろん政治的な人はいくらもいるでしょうし、ニュースになるときは政治問題の文脈で取り上げられる。日教組の教研集会で新しい授業の取り組みが発表された、なんてあっても誰もニュースバリューは感じない。だから、とかく「日教組が」なんちゃらと政治的な話になるのでしょうが、とんでもない教師ばかりでなく、熱血教師だの理解者の教師だのも、教員組合員だった時代はあるはずです。


 そればかりではなく、60年代(学テ闘争をしていたころ)が日教組の組織率は高かったろうと思うのですが、その頃は、戦後20年~25年ぐらいなのですよ。

 中学校になると教科によって、いろいろな先生に習うわけですが、厳しい教師というのがいました。実際は理不尽に怒るわけでもないんですけどね。でも、「あの先生は生徒にビンタを食らわせたそうな」なんて教師もいたし、授業でいつも竹刀を持っている体育教師もいた。そういう教師が保守的かというと、生徒の話を聞くリベラルな一面も持っている。いちいち教師の組合所属を生徒が問うことはないけど、まあ日教組傘下の組合員であることは普通だったでしょう。


 そしてね。そういう先生は、予科練出身だったりするんですよ。「あの先生は特攻隊に行くはずだったんだってさ」という教師がけっこういた。

 昭和40年に45歳だと、終戦の歳に25歳。40歳で20歳。わたしが教わった中年のベテラン教師たちは、お国のために特攻したかもしれない歳だし、実際に戦争にいって戦闘行為をした人も多いはず。


 わたしだって教師に、「機銃で撃たれて戦友の肉がえぐれて・・・」なんて話を授業中、聞きましたもの。

 反戦を説いた教師もいなければ、戦争を賛美する教師にも出会わなかった。でも、まれに戦争体験を語ることはないではなかった。


 「二度と教え子を戦場に送らない」というのが日教組のスローガンで、ウヨさんたちは「偏向だ」とか「観念サヨクだ」というでしょうけど、そういうスローガンを作って運動しだした人たちは、戦場で銃を撃った人、爆撃をした人です。そこで「鬼面、人を驚かそう」というタイトルに戻れば、「人を殺した」経験がある人が日教組運動にはいたはずですよ。日本のどの組織、どの地域にもいたでしょうけどね。


 自身の戦争体験から、「日本は絶対に悪い」という意見を持った教師もいるだろうし、逆に、「日本が負けたからこんな世の中になった」と不満をもつ教師もいたでしょう。世の中は広い。

 ともかく戦争体験世代が戦後を作ってきて、だんだん戦争体験者が減ってきている。

 そして、「お国のために」戦ったこともない世代が、「戦後平和主義の虚妄」とか口走る。