♪「ありがとう」は、 感謝の 言葉じゃなくてー | みんななかよく

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ブログネタ:バレンタインは『ありがチョコ』 参加中

本文はここから
ありがチョコ
ありがチョコお取り寄せ
ありがチョコ
ありがチョコ

なんと、広告つきだよ。
「ありがとう」と感謝の言葉つきバレンタインチョコのお話だってさ、
義理チョコの極みって気もするんですけど・・・。
にリンクして、「ありがとう」に関して 言葉談義をしようと思ったのにー。

「バレンタインに<ありがとうチョコ>!ケッ!『この前はラブホ代、みんな出させてゴメンね』なんてお返しなのか、キイキイ」って、アホネタにしなければいけないのかな。

でもかまわず、「ありがとう」という言葉の話。

中学か高校の教科書だっけな。柳田国男が、「<ありがとう>とは、われわれの祖父母の時代には言わなかったように思う。「有難し」というのは、神仏に向かって言う言葉だった」 というようなことを書いていたように思うんですよ。例によってうろ覚えですが。
確かに、時代劇などでは何かをしてもらった時など、「かたじけない」と言っているよね。武家や上級商人に限られるかもしれないけど。

「ありがとう」というのは、いつごろからの言葉か、というのが気になるんですよ。

「有難い」を広辞苑でひいてから古語辞典を見ました。

「有難し」について『岩波古語辞典』では、《有ることを欲しても、なかなか困難で少ない、無いの意。稀なことを喜び尊ぶ気持ちから、今日の「ありがたい」という感謝の意に移る》と記してから①~⑥までの意味を記しています。
⑥は「感謝したい気持ちである。」として、用例は「『おやおや― う」とあけて読む」と人情本の「春色辰巳園」を挙げています。深川の妓からの文を使いから受け取って開封するばめんかなんかだな、きっと。
人情本が流行ったころには、口語では「ありがとう」は普通に使われていたのでしょう。

平安時代とか、もっと昔は、人に感謝する時には何といっていたのかな。
昔の物語などの中、会話体ではなんといっているのか知りません。別に感謝を表明する単語があって、それが廃れて、「有る」ことが「難い」意味の「有難し」に取って代わられたとも考えにくいから、昔から「有難き○○」と言っていたのかもしれません。でも○○抜きの感謝の言葉ってなかったのかな。
「ありがとう」という音便形は「有難く」何々するの省略でしょう。

そうか! 昔の日本人は、感謝という感情が未発達だったんだ!

という結論を出すと、多分馬鹿にされるけど、紫式部が藤原道長に「ありがとうございます」と言っていたというのもありえなさそうでしょ。あまり言葉の変遷などを意識しない人は、「ありがとう」が昔から変わらない日本語だと
思うかもしれないけど。

ここで、「感謝する」というのは、そんなに自然な感情なのか、という一見、奇妙な疑問を提出します。
でもね。小さい子には、わざわざ「ありがとうと言いなさい」と教えるのですよ。これは躾として、感謝の気持ちはこういう言葉に表しなさいと教えているというより、感謝の気持ちという感情を教育している、社会化していると考えてもいいと思います。

あたし、小さい子ね。アイスクリームを貰いました。なめてあまくておいちい。感情は「うれちい」。で、アイスクリームをくれたかめを飼っているおばちゃんに向かって、「おいちい」という。幼いわたしの心には、「感謝する」という感情の萌芽があります。それを親が、「ありがとう」でしょ、と教えて社会化する。
かめのおばちゃんにしてみれば、相手の小さい子がにっこり笑って「おいちい」と言ったら、「ありがとう」以上の感謝の言葉と受け取るわけですね。

こう考えると、その昔は、なにか貰ったりして、相手に感謝の気持ちを持ったときに、「うれし」といい、それが感謝表現だったかも知れない。でも、そのうちに汎用性のある、状況に依存しない表現が発達してくる。言葉とともに「感謝」という感情も発達する。

学識がありませんから、古い日本語に今の「ありがとう」とほぼ等価の感謝表現が本当になかったのか、詳しくは知りません。しかし、「有難し」の意味の変遷を見ると、今の「ありがとう」が太古の昔から使われたわけでないことはほぼ明らかでしょう。
感情が社会化し、認識されると、表現もいろいろ出てくる。今の人で、お礼をいう時に、「感謝します」という人もいるでしょ。「わー、感謝です」っていうばあいもある。「感謝」という言葉が広く認識されたから、これが通用する。言っておくけど、江戸時代のお百姓さんは「感謝」って漢語は知らなかったと思うよ。字を読めない人もいっぱいいたんだよ。

「感謝の気持ちは大切だ」とか、「『ありがとう』というべきだ」という主張がダメでもどじでもないんだけど、「ありがとう」とか「感謝」とかが自然だったり、普遍だったり、当然だったりときやすく思うのは、考えが浅い。

「有難い、有難い」というのは神仏を拝むときに発せられる言葉でもある。相手への尊崇、畏敬の念も、「有る」+「難し」の意味のこの言葉にはこもっています。
「ありがとう」と感謝の言葉を述べる人は、尊崇の念もこめているでしょうか。
どうも、そこまでは言わないみたいね。ほどほどのところで「感謝」だけしていればいいのかな。
「ありがとう」という音便形は、感謝表現として定着しましたが、生々世々の人々の思いがこもってきた言葉なのです。安手の修身みたいなところで使い回して欲しくないですね。