よく「何で講談師になったのですか❓」と聞かれる。
打ち上げの席などで、会話につまった時に無難な質問なんだろう。確かに私も相手の立場なら聞いてしまう。
そんな時、私はいつも気持ち悪い作り笑顔で
「何でですかね。講談が好きだからですかねぇ」
と答える。
相手はそれ以上突っ込まず、何となく無難な受け答えだなと、意外なパンチを期待したのにガッカリみたいな感じで話題が変えられるパターンが多い。
私の大好きな落語馬鹿の先輩は
「なんで落語家になったんですか❓」に
「分かりません」
と答える。曰く、めんどくさいからだそうだ。
そうなのである。落語家になった理由も、講談師になった理由もめんどくさいのである。
そんな天気を聞くみたいなノリで聞かれても、温度差が違うから無理なのである。
話せば長くなるし、相手がそこまでの事は望んでいないのはわかるから、
「うーん、講談が好きなんですよ。」
で正解と思ってる。それは嘘じゃないし、要約するとそういう事だから。
私はプロとアマチュアの人の差は、めんどくささの差だと思っている。
アマチュアでびっくりするくらい上手な人も知ってるし、可愛いがっていただいていたりする。私より当然のように上手い人も沢山知っている。
ただ、一つ差があるとするならば、前座修行をしてるしてないとかの問題ではないように感じる。
それは結果論だ。
プロになった者はすべからく、エイヤッとこの世界に入って何かを捨てたのである。
何かは分からないが、ビルからビルに飛び移る時に、それがどんなに近くても勇気がいる。
一瞬、死ぬかなぁと頭をよぎるが、それでもいいやでビルに移るような気持ちだ。
そんな行為を、どんなに下手な奴でも売れてない奴でもロクでもない奴でも全員してる。
これが出来るか出来ないかが、小さい様で凄まじく大きな差だと思う。
親の反対が、稼業が、才能が、年が、嫁さんが、子供が、収入が
様々な言い訳はつく。それを全部越えて、エイヤっと腹を括って行くところに私は大きな差があると思う。
私は落語も講談も異常なまでに好きだ。
そうすると、俺みたいなものがプロになっていいかという葛藤と妄想はさらに深まる。
妄想も含めてプロに対する畏敬が凄いから、ビルとビルの間は凄い距離で、ビルも高いのなんの。人間が虫みたいなのである。風はもうビュービュー言ってる。落ちたら下は絶命状態でのジャンプである。社会人として機能しない人間が存分に形成されてからのジャンプだ。
そりゃ、足震える。
それで松鯉が弟子にするからと言った時の喜びは、分かってたまるかなのである。
そのジャンプのエネルギー源は、自分の因果な人生そのものだ。
だから凄いめんどくさいのである。
その上で「なんで講談師になったの❓」
その話はまた後日書きます。