雪があなたの影ならば
わたしはこの身を
捧げましょう
凍てつく空からやって来て
雪の欠片を
散りばめる
震える大地は
雪のシルエット
わたしはあなたを
追いかける
溶けて流れてしまわぬうちに
わたしはあなたを
踏みしめる
どれほど優れた効果のある薬を飲んでみても病気が良くなる事はない。毎日大量の薬を飲む事が日課の一つになり、慣れ親しんだことであったとしても時々弱音を吐きたくなる。
言い知れぬ不安と孤独に押し潰され、希望が尽く手の平から零れ落ちていく。昨年12月に心不全のため緊急入院し、約3週間あまり治療を続けた後に退院を果たしたが、その一週間後には再び心不全が増悪し自宅安静を言い渡された。
わたしの場合心不全は慢性化しており、それを大量の薬で補いつつ心臓への負担を軽減しているが、これ以上の回復が望めず、リハビリを兼ねた仕事も断念せざるを得なくなった。
2月3日、循環器外来にて主治医から「仕事は無理」と告げられる。事実上のドクターストップであった。わたしは「まだやれる、頑張れる」と自分に言い聞かせ続けて来たが、右心不全の症状に悩まされながらの労働は心臓を更に悪化させるだけであった。
血液が身体の末端にまで行き渡らず、手足の指先は温もりを全く失っていた。内臓(特に腸)は激しく浮腫み、極度の便秘が一週間以上も続き、体重は更に増え心臓を圧迫する。
23年前に余命一年を宣告された時もドクターストップが掛かったが、希望を失う事は全くなく、死への恐怖感すら感じる事はなかった。手術をすれば元気を取り戻し健常者と同じように働く事も可能という生への「確約」があったからだった。
二度目のドクターストップでは「成す術なし」と言う現実を突き付けられ、さすがのわたしもショックを隠せず、心がバラバラに折れてしまった。
外来を終えた後、勤務先に連絡を入れそのまま港区にある会社へと向かった。約二ヶ月振りにわたしの姿を見た女性社員が「神戸さん、元気そうで良かった!」と笑顔を交えながら声を掛けてくれた。
見かけだけでも元気に見えるのは、他人に自分が病気である事を悟られまいとするわたしなりの精一杯の防御本能だった。
人事部担当者と一時間ほど面談を交わし、病気のため退職することを申し出た。
「元気になって働けるようになったら戻って来て下さい、神戸さんのスペースは残しておきますよ」
消えかけていた希望に灯りが点った瞬間だった。相撲界が激震に揺れている。この揺れはおそらく当分続くことになるだろう。相撲の八百長疑惑は今に始まったことではないが、八百長の内容を携帯メールでやり取りすると言うのはいかにも現代っ子らしい。
野球賭博問題で「膿を出し切る」と宣言していた理事長たちの声がなんとも虚しく思えるし、懲りない土俵の世界には常識が通用しない相撲界独特の魔物が棲みついているのだろう。
相撲は神事である。それが大前提となっている筈なのだが、国技という隠れ蓑を傘にして勝負が単なるマネーゲームのように扱われ、力士たちの間に蔓延する魑魅魍魎が神を冒涜し始めて行く。国技は言葉と形だけのものに成り下がり、相撲の歴史は尽く汚れ切ってしまった。
所詮は不完全な人間のやることだから、規律を守り歴史を汚さぬ心構えなどは「金」の前にあっては脆く簡単に崩れ去る。相撲に完璧を求めることの方がナンセンスなのかも知れないし、相撲だけを特別扱いして来た我々の責任も無視する事は出来ない。
横綱がどんなに連勝記録を伸ばしてみても、「八百長」の一言がその大記録すら蜃気楼に変えてしまうという状況。
土俵の隅でうずくまりながら嘆いている相撲の神様の姿がわたしには見えて来る。相撲界の歴史に敢然と名を残して来た名勝負が「迷勝負」に思えて来るのはわたしだけではないだろう。
運不運に関係なく、生きてさえいれば一年に一度必ず訪れる誕生日。それは神様と契約を交わす日である。
新たな一年の始まりを神様から頂き、希望と言う証明書を発行してもらうのだ。これから始まる一年には、想像を超えるような困難や苦痛が待ち受けているかも知れないが、神は人間に乗り越えられる試練しか与えない。
絶望の淵に追いやられ、行き場さえ失い死の闇に迷い込んだとしても、神はあなたを見捨てはしないないだろう。絶望と希望は表裏一体、あなたが自分を諦めさえしなければ、新たな道が目の前に開かれることだろう。
これまで生きてこられたことに感謝することで、希望はあなたの前から消えることはない。
昨日、わたしは再入院を覚悟しながら循環器外来を訪れたが、絶望感を抱いていた心は不安に打ちひしがれ、一睡も出来ないまま1月6日を迎えた。
動悸は激しく、身体中が脈打ち歩く気力も失せていたので、三井記念病院に電話を掛け、体調が悪いので行けそうにない事を伝え、コールセンターのオペレーターに外来日の変更を伝えた。
主治医を通さず、簡単にその場で変更出来るのだが、その日はオペレーターがどういう訳か、循環器センターに電話を回した。電話に出た看護師と数分やりとりをした。
「先生が心配しておられるので、頑張って来られませんか?」
それはしつこいほどの説得力があった。血液検査と胸部レントゲンを済ませ、検査結果が出るのを待っていた。結果が悪ければその場で入院だったが、著しく低下していたクレアチニンの値が大きく改善されていたのだ。BUNも32から18へと正常範囲に…。
大きく胸を撫で降ろしたのはわたしではなく、主治医の方だった。わずか一週間という短い間に何が起こったかは知らない。わたしはただ言われるままに自宅安静を守っていただけである。
ただし、「右心不全」の症状は全て消えた訳ではない。心不全を回復させれば腎臓が壊れ、腎臓の機能を一定範囲に保てば心臓に負担がかかる。心臓と腎臓を同時に二つ救う事は、現在の医療では不可能なのである。人工透析だけは避けなくてはならないから、心不全は残したままであるが、これはわたしに与えられた試練なのだろう。
今年一年を神はわたしに新たな試練を与えたと同時に希望を約束してくれたのだ。
東京の空は今日も高く、青く澄み切っている。天に一礼して、さてわたしはこれから免許証の更新に行って来ます。帰ったら夜は「七草粥」でも食べましょう。
年に何度も心不全を繰り返すわたしの心臓は、もう薬だけでは対処出来なくなってしまったのかもしれない。
ステロイドが諸刃の剣と言われるように、薬は限度を超えて使用すると結果的に重い後遺症を生み、更には死に至る場合がある。よって医師はそれを計算に入れ個々の疾患に合わせ綿密なコントロール下で使用する。
心不全の治療薬である利尿剤「アルダクトンA」「ラシックス」はその代表で、抗凝固剤のワーファリン(殺鼠剤としても利用される)と同様に23年間服用し続けている。
2008年6月、不安定狭心症で緊急入院し、カテーテル治療により右冠動脈にステントを入れ、辛くも一命を取り止めたが、あれ以来心不全が度々起こるようになった。タナトリル、バイアスピリンなど薬の種類も大幅に増えて行った。
そして新たに加わった心臓疾患が「三尖弁閉鎖不全」「収縮性心膜炎」前者は精密検査の結果、リスクの高い開心術を行ったとしもQOLは期待出来ないとして、薬剤による対処療法に留まった。後者の「収縮性心膜炎」も根治するには手術しかないと言われたが、経過観察で落ち着いた。
今年11月下旬、我慢の限界を超える心不全症状が現れ始めた。メンタルクリニックで新たに処方された「ジブレキサ」「デパケン」を服用し始めてから急激に体重が増え始め、入院直前には正常値より8キロオーバーの68キロに達していた。
11月30日、息苦しく不整脈もあり不安に駆られたわたしは、三井記念病院の循環器外来に電話を入れた。
「主治医が○○先生なんですが、心臓が苦しいのでこれから見て貰えますか」
「すぐ来れますか?」
「電車で1時間ほどですが、今すぐ向かいますので…」
会社に事情を伝えた後、病院に向かった。
病院の1階にある自動受付を通さず、そのまま循環器センターの受付に行き、
「さきほど電話した神戸ですが、心臓が苦しくて…」
事務服を着た若い受付嬢が、わたしの顔を見つめながら
「患者さんはどちらに?」と訊いて来た。
わたしは無言で自分を指差した。見た目は健常者と何ら変わらないわたしを重篤な心臓疾患を抱えている病人だとは誰も気付かない。
電話に出た看護師が車椅子を連れてやって来る。
「神戸さんですね、1階の救急センターに行きますので乗って下さいね」
見慣れた救急治療室の重い鉄の扉が開くと、数人の紺色の上下服を纏った救急チームがわたしを待ち構えていた。
「神戸さん、大丈夫ですからね、ベッドに移りますよ」
わたしの身体を支えながら狭いベッドに寝かせると、即座に点滴棒が運び込まれブドウ糖液%が混ざったヘパリンが左腕から投薬された。
「えっ、点滴と言う事はもしかしてこのまま入院?…」
口には出さなかったが、入院の二文字が脳裏を過ぎった。心エコーとレントゲンの準備が整うと、何処からともなく、二人の若い女医が現れた。
一人はまだ研修医と思えそうな20代前半、もう一人もやはり若く医者になりたての女医であったが、この女医が今回の担当医となった。
手際良く、心エコーの機材を使いながら、心不全の状態などを調べて行く。その間に左腕の動脈から血液が採取された。
「三尖弁の逆流と収縮性心膜炎がありますね、苦しくなったのはいつ頃からですか?」
「一週間ほど前から体重が増え始めて、身体が浮腫んで来ました」
「何か心あたりはありますか、食べすぎとか、水分摂り過ぎとか」
「ジブレキサを服用し始めてからですが…」
「ジブレキサ…?それは駄目ですよ、副作用が大きいですよ、その薬は即刻中止です」
検査結果を待つ間に胸部と腹部のレントゲン撮影、二人の看護師と話しを交わした。
「手指が冷たいですねー、チアノーゼを起こしてる」
「お風呂に入っても手足だけ全然温まらないし、冷え性みたいになって」
「血液が身体の末端にまで行き渡っていないからね」
「サチュエーション94だわ、深呼吸してみてくれる」
出来る限り酸素を吸い込んでみた。
「96まであがったね、よかった」
数分後検査結果が告げられ、入院を余儀なくされたが家にどうしても帰る必要があったため、点滴を外し、病院を後にした。
帰り際に女医が言った。
「もしこの状態で何かあったとしても責任は持てませんから…」
そんな事は充分承知の上だった。愛猫を知り合いに預かってもらわなければならなかったし、修希君の心臓移植の事も気になっていた。
12月1日、入院用の黒いバッグが重くて仕方なかったし、岩本町駅から徒歩約12分の距離は途方もない道のりに思えた。道の途中で何度もうずくまってしまいそうになりながらやっと辿り着いた入院受付。ソファに横たわり車椅子の来るのを待った。
事務員に案内されたのは前回入院した時と同じ17階だった。その日担当の看護師がやって来て、
「神戸さんって確か前に1712にいましたよね」と血圧を測りながら笑顔で話し掛けて来た。
「よく覚えてるねー、一年以上も前なのに、また戻って来ちゃったのでよろしくね」
気恥ずかしさを隠すように笑いながら誤魔化した。入院する度に家族構成や病歴、アレルギーなどを訊かれる。
テーブルに「禁食中」と赤い文字で書かれた札が置かれる。そしてベッド安静、トイレには行けないし、移動は車椅子。そして当然ながらヘパリンの点滴。夕方近くになって漸く担当医が現れ、病気の説明をする。「右心不全」腎機能がかなり低下しているので、利尿剤の増量は不可。これ以上腎臓に負担を掛けると結果的に人工透析になってしまうためだ。
現時点での利尿剤で効果がなく、心不全が改善しなければ収縮性心膜炎の手術適用となるが、かなり難しい手術であり死亡率も高いと言う。術後の結果も保証はなしで、やってみなければ解らないまさに賭けである。それほどリスクの高い手術を受けたいとは思わないが、頼みの綱である利尿剤が駄目だとしたら…。
12月29日、退院後初めての外来だった。
「神戸さん、腎機能が退院時の時より悪くなってますよ、脱水起こしてますね…」
ショックだったが、予感はあった。昨日から浮腫みが再発し、心不全状態である事を告げた。
「心臓も少し大きくなってます、自宅安静ですよ、食事には充分気をつけて」
「ラシックスの増量は本当に駄目ですか?」
「もうこれが限界です、これ以上増やすと腎臓が壊れてしまいます」
「やっぱり手術でしょうか…」
「うーん、悩むところです、確実によくなるとは言い切れないので」
診察室でこれほど落ち込んだことはなかった。
「ジゴシン中毒も出ているので、ラニラピッドの服用を明日から半分にして下さい」
仕事復帰の診断が出ないまま、会社に行ったことが祟ってしまったのだと思った。長く休んでいるし、不安でもあり焦っていた。
「とにかく様子をみましょう、来年早々に来れます?もしよくなっていなかったら、再入院になるかも知れません」
今までの事を振り返ってみると、これらは全て自分が悪いのだと思った。自業自得なのだろう。少し調子がよくなると医者の言う事は無視して生活バランスを自ら崩す…。
2011年を迎えるにあたり今更こんな事を言えたものではないが、もっと真摯に病気を受け止めようと思う。子どもたち、知人、友人、みんなが心配してくれている。その思いに報いる為にもお世話になった多くの人たちに感謝の意を込めて今年を締めくくりたい。
今年一年お付き合い下さりありがとうございました。
良い年をお迎え下さいね。
もし、あなたのお子さんが或いは最愛の人が、心臓移植でしか助かる道はありませんと宣告されたらどうしますか…。
2010年7月、臓器移植法が改正され、日本国内に於いても15歳未満の臓器提供が認められようになり、移植を待ち続ける小さな患者や家族たちに一筋の光明が指した。しかし国内でのドナー提供の現状は非常に厳しい現実に置かれている。
人気テレビドラマ「医龍3」佳境に入っているが、朝田龍太郎のような天才心臓外科医の手を持ってしても救えない命がある。「医龍」は日本で初めて「バチスタ手術」を実行した「須磨久善」医師を題材にして作られたフィクションではあるが、監修を須磨先生並びに順天堂大学教授の「天野篤」医師などによって、実際の医療現場(特に心臓外科)をリアルに再現している。
ドラマの世界ではその殆どがHappy Endで終わる事が多い。心臓病に関わる専門用語もわたし等のように実際に心疾患を抱いている者にとっては、大いに参考となる番組だが、「おいおい、そこは違うだろ」的な場面は大目に見ても良く出来上がった番組だ。
心臓移植を待つ少年を救うため、自ら心臓に傷害を負った主人公…そして少年は国内で移植を受ける事が果たして出来るのだろうか…
福岡の病院に入院中の「麻生修希くん」は、僅か1歳11ヶ月。生まれ付きの心臓病の為に、これまで2回の心臓手術を受けて来たが、結果的にそれが要因となり重度の拡張型心筋症を患ってしまった。主治医は「心臓移植が助かる唯一の方法」だと家族に告げる。
酷な判断をするしかない主治医とチームの苦悩もこの移植と言う言葉だけで表現出来るものではなく、ましてやそれが最後の手段だと受け入れなくてはならない家族の気持ちは…。
保険適用外のアメリカでは、ご存知のように莫大な移植費用がかかる。わたしたち一般人が一生働いても手に入れることの出来ない金額だ。日本国内には15歳未満の移植例は0である。国内での心臓移植を待っている時間が修希君には残されておらず、一刻一秒も早くアメリカに渡り、移植を受けなくてはならない。幸いに米国のロマリンダ大学小児病院が修希くんを受け入れる事に内諾している。しかしながら、その前に大きく立ちはだかる現実が費用の算出問題。修希くんに必要な移植費用は1億5千万円…途方もない金額である。
助かる命が金で買えるという現実は皮肉なものであるが、修希くんの持つ無限の可能性をわたしたち一人ひとりの力で支えて行きたい。
わたしは12月1日、三井記念病院に心不全のため入院しますが、このような体調の悪い時に修希くんの事を知ったのも、眼には見えない縁とエネルギーが作用しているのだろうと、わたしは思っている。わたしの命はともかく、今最優先するのは「修希くん」の小さな命。
みなさん、どうか力を貸して下さい。小さな命を守るため、みなさんの仏心をお貸し下さい。よろしくお願い致します。
(修ちゃんを救う会公式サイトはこちらです。)↓
どのような場合でもその道を極めると言うのは並大抵の事ではない。歌舞伎役者の市川海老蔵さんがNHK番組の「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演していた時の事を思い出す。
日本の伝統芸である歌舞伎の世界で、父「團十郎」から継承した「美と力」を融合させ、海老蔵流儀を確立させた、いま最も注目されている男に一体何が起こったのか。
わたしのトラウマは酔っ払いと鼻血である。父が大酒呑みで、酒が入ると人格が変わり暴力を振るう。しかし、その対象はわたしだけに留まっていたから、酒でのトラブルは殆ど聞いたことがなかった。パトカーを蹴飛ばして留置場の世話になったという噂を聞いたことがあったくらいで、特に外で大暴れや喧嘩をして逮捕されたという話は聞いたことがなかった。
鼻血は一度出血すると貧血を起こすほど大量に噴出し、病院へそのまま搬送となる。だから今でも鼻先に温かい違和感を覚えると胸がドキッとしてしまう。
さて、ニュースで既にご存知の方も多いと思うが、顔面に大怪我を負った市川海老蔵さん、最初は交通事故でも起こしたのだろうと思っていたが、どうも喧嘩に巻き込まれたらしい。それも見知らぬ男から一方的に殴られ、鼻骨骨折、前歯の欠損、顔中が傷だらけだったようだ。
事件が起こった時点で110番していないことから、店内でのトラブルのようであるが、怪我の度合いから見ても、一方的に殴られたものと思われる。
海老蔵さん自身の酒癖がどうか知らないが、入院までしなければならない程の喧嘩となれば、相手は素人ではないのでは…、やくざかそれに近い集団。ただ、最近の素人は加減というものを知らないから、やくざより恐い場合もあり得るが。
とにかく、酔った勢いで双方に負があるにしても傷害事件に発展しており、ここはきっちりと潔さを見せて、殴った男(たち)も出頭して事件を解決してもらいたい。
記者会見に臨んだ父親の「團十郎」さん曰く、「酒は涙か溜息か」と洩らしたかは知らないが、体調不良を理由に打ち合わせをキャンセルした後の出来事だっただけに、厳しい言葉で息子を叱ったようである。