プールサイドの人魚姫 -18ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 紹介する順番が逆になってしまったが、墓参り(30日)の前に静岡市へ立ち寄った。今回の旅の目的の一つが息子の経営する『パソコンサロンゆうらく』の事務所見学。事務所立ち上げの時も招かれていたが当時の私は心不全を連発し絶不調だった。それから7年、漸くこの眼で息子の事務所を見る事が叶った。

 約束の時間は18時30分、藤枝を発ったのは15時頃だったが、午前中は雷と共に激しい雨に見舞われた。天気予報も一日中雨となっていたのでテンションは下がり気味だったが、静岡市内に入った頃には雨も止み傘を必要としなくなる。約束の時間まで駿府公園などを散策。ところが夕方5時頃になると、なんと青色が空一面に広がり始めた。あれほどどんよりと曇っていた空が誰かを招くように青空をプレゼントしてくれたのだ。

 まさにシャッターチャンス到来とばかりにスマフォカメラのシャッターを切った。私が静岡に住んでいた頃は、駿府城もお堀と石垣しかなかったのだがそれが現在では写真のように立派な城の建物が出来上がっている。現在と過去が混在したこの異空間でひと時タイムスリップを味わう事が出来た。

 息子の事務所では大歓迎を受け、息子の手料理を堪能した。そして一眼レフカメラについて多くの事を学ぶ事が出来た。もう少し時間があれば新静岡と新清水を結ぶ静岡鉄道に乗ってみたかった。10代後半~20代前半まで毎日のように利用した静鉄が妙に懐かしく思えた。

 

 

 

 

夜空を彩る花火の中に

あなたの影が揺らいで見える

浴衣の裾を昨日の雨で

少し濡らした私を

大丈夫?と

小さな肩を優しく抱いた

そのあなたは今

夜空の花火となって

私を見詰めていることでしょう

あの夏の日

二人の絆が途切れた時に

もう花火は見ないと誓ったのに…

 

 

※8月3日、4年ぶりに板橋花火大会へ行った。今回は埼玉県側に行き、戸田公園の荒川の岸辺に撮影場所を確保しスマフォを構えてその時を待った。周りには一眼レフに望遠レンズを載せた三脚がずらりと並んでおり、花火の打ち上げを今か今かと待っていた。

 明るい日中と違い、光が十分に得られない夜景、特に花火のように動くものが被写体となれば撮影は難しくなる。手持ちでの撮影はブレてしまう事が多く、やはり三脚は必須。私もスマフォ用の三脚を用意し、シャッターはワイヤレスリモコンを使った。あまり期待はしなかったが、最新のGalaxyS10だけあって意外と綺麗に撮れた方だと思う。

 

 

 8月29日~9月1日にかけて故郷の静岡へ帰省した。急ぐ旅でもなかったので、東海道線の各駅停車に乗り、のんびり車窓の景色を楽しんだ。障害者割引も利用したので東京から藤枝まで1800円と財布に優しい旅となった。だが、東京→藤枝→静岡→藤枝→磐田→浜松→天竜→掛川→東京という過密スケジュール。

 10キロ近い荷物を背負っての移動は決して楽なものではなかったが、懐かしい友人・知人たちに会えるという期待感で心も弾み疲れなど微塵も感じる事はなかった。写真は藤枝での様子をまとめたもの。午前中かなり激しい雨が降ったものの、その後は好天に恵まれ、故郷を満喫する事が出来た。

 

 

 

 

 

新河岸川沿いに仲良く並ぶ丸いガスタンク。もしこれが転がったら!

想像すると怖い。

美しさと恐怖は紙一重なのだろう。

 

※自宅から自転車で高島平方面に20分あまり走った所に「板橋区立熱帯植物館」がある。その直ぐ近くを流れる新河岸川沿いにある巨大な丸いガスタンク。その日は熱帯植物館が目的だったので、日を改めて訪問してみた。

 このガスタンクに夕陽が当たったらさぞ美しいだろうと、頭の中に被写体のイメージを思い描く。カメラの撮影はこの時点で既に始まっているもの。時間を掛けて時の流れを観察するのも撮影の醍醐味である。この見事な夕陽に恵まれた事、そしてそれをカメラに収める事が出来、イメージ通りの構図を与えてくれた太陽と雲と川とガスタンクに感謝!。

 

 

青い空に

ポッカリ浮かぶ

白い雲になり

君の住む街まで

飛んで行きたい

 

 

※埼玉県戸田市にある人工の湖『彩湖』へ行く途中、荒川の水面に映り込んだ雲があまりに美しかったのですかさずカメラを向けた。写真は新河岸川と荒川に架かる笹目橋からのもの。それにしても西高島平駅から歩いて彩湖まで行くと言うのはあまりに無謀と思われるが、地図を見て「これなら歩いて行ける」と判断し実行に移した。

 心地よい風に吹かれ色濃くなった緑の大地を踏みしめながら、そよぐ風景を愉しみカメラに収める。荒川土手ではロードバイクが何台もスピードを上げて私を追い越して行く。いつの日か自分もロードバイクに跨りペダルを漕いでみたいと思いながら彩湖を目指した。この日の歩数は2万4千歩を越えていたが、さほど疲れは感じなかった。次の日には竹芝埠頭へ海と船の撮影に行った。

 

 

※この写真は8月4日、池上本門寺で行われた納涼盆踊り大会へ撮影に行った時の一枚。池上本門寺と言えば、プロレスの父『力道山』の墓がある事でも有名だが、力道山を語る時、どうしても避けて通れないのが父の事。

 父が府中刑務所に服役中だった時、同部屋に力道山を刺した『村田勝志』がいた。父はその本人から『力道山殺傷事件』の顛末を聞き、報道されている内容と食い違う部分が多々あったと言っていた。その日、赤坂のクラブで些細な事で力道山と口論になったが、先に手を上げたのは力道山だったと言う。然も、相当酒に酔っており善悪の判断すら付く状態ではなかったらしい。

 プロレスラーは身体全身が凶器のようなもの、そこに酒が入り平常心を失った力道山は村田さんの胸ぐらを掴むなり投げ飛ばしたと言う。村田さん自身も身長180cm近くあり力道山に負けないほど体格はよかったが、その身体が6,7mほど飛ばされたと言う。闘争本能に火が付いた力道山相手に勝てるはずもないと、村田さんは瞬時に悟り気が付くと鋭いナイフを握っていた。

 父から聞いた話しが事実であれば、これは正当防衛ではなかったろうか?相手は凶器と化した猛獣のようなものである。腹を刺された事が直接の死因ではないが、己の強さに自惚れた結果なのだろう。

 

 

 

あの日 僕は母さんに

会いに行ったんだよ

木町に帰っていると

父から 聞いたから

父は 会いに行って来いと

言ってくれたんだよ

だから 僕は少し照れ臭かったけれど

勇気を出して 行ったんだよ

でもね 母さん 

僕の眼には女の人が三人いて

誰が母さんなのか分からなかった

だから そのまま会わずに戻ったけれど

三人とも母さんに見えたから

少し得した気がしたんだよ

 

 

※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。

 

 

 

残暑お見舞い申し上げます。

 

 

※運河の上を走るモノレールを撮影するため幾つかの運河を渡り歩いた。勝島運河、京浜運河、天王州運河、新芝運河、そして芝浦運河と。お蔭で東京の運河には随分と詳しくなった。その運河の景観も場所によって随分と違いがある。アップした写真は5月30日、レインボーブリッジを撮影する為に田町駅から歩いて芝浦埠頭へ行く途中であった。

 芝浦アイランド近辺にはお洒落な高層ビル群やその縁を運河が縦横無尽に走っており、芝浦埠頭に着くまでに随分と眼を楽しませてくれた。モノレールを撮影するスポットを幾つか巡り、何度かスマフォのシャッターを切った。写真はその中の一枚である。その後に目的地の芝浦埠頭に到着。下から眺めるレインボーブリッジは圧巻であった。そして歩いてレインボーブリッジを往復。気付くとその日は2万歩を遥かに越えていた。

 

 

 

あなたが

心変わりしないうちに

あなた色に染まりたい

わたしです

 

 

 

※雨の日の浅草界隈を撮影しようと思い、浅草橋で降りたところで雨が止んでしまった。そのまま神田川を下り隅田川に出た時に見つけたのがこの紫陽花。

写真の醍醐味はその被写体が持つ魅力を最大限に引き出すところにある。花を花のまま撮影するのではなく、そこにストーリー性を含ませる事。そうする事で花の魅力がより一層際立ち花自身も喜んでくれるだろう。

 

 

 

 


 

たくさんの花の中から

君だけを

見つけたんだよ

 


 

※葛西臨海公園の観覧車とポピー畑。この日は風が強く、このポピーを撮るのに随分と苦労した。高価な一眼レフカメラなど買えないのですべてスマフォで撮影。ある意味、写真撮影はスポーツだと思う。被写体を探し求めてよく歩くし、集中力、観察力、体力が不可欠。この日の歩数は2万歩を越えた。距離に換算すると13キロ余り。休憩は食事の時に10分程度で後はひたすら歩いていた。