プールサイドの人魚姫 -17ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 

君から

便りが届いたよ

スカイツリーのてっぺんから

この広い空を渡って

僕の心に

届いたんだよ

 

※スカイツリーを撮影する上でどうしても失敗は避けたかったため、入念な準備を行った。スカイツリーの撮影スポットは数多くあり、人気のスポットには多くのカメラマンが集まるだろう事は予想が付いていた。他の人たちと同じ場所で撮影しても似たり寄ったりの写真になってしまうため、独自の撮影スポットを確保しなければならない。

 写真撮影は、撮影スポットを決める前から既に始まっており、頭の中に幾つものイメージを浮かべ、試行錯誤しながら実写へと移行して行く。私が選んだ撮影スポットは水鏡に映る逆さスカイツリーで有名な十間橋。人気スポットであるため、その日も多くの写真愛好家が集まってその時を待っていた。

 私はそれより更に150mほど下った北十間川に架かる歩道橋。そこには誰一人として撮影している者はおらず、私だけの隠れスポットとなった。その日は天候にも恵まれ、眼を見張るような美しい夕陽に出会えた事もラッキーだった。次回は一眼レフで再挑戦してみたいと思う。

↑無人になった13病棟の窓から腕を伸ばしているのが私(14歳の頃)。

 

 『今夏は天竜養護学校へ行くぞ!』を今年の目標に掲げていたが、それが実現出来た事はこの上なく嬉しく思う。墓参りを済ませた後に息子が運転する車で磐田駅へと向かった。久しぶりのドライブと東名高速道に気分も浮かれていた。31日はジュビロ磐田の試合があるため、午後3時を過ぎると道路が混雑してまともに走れなくなると聞いて、午後2時に友人と磐田駅前で待ち合わせ。息子に礼を告げて今度は友人の車に乗り込む。途中でもう一人の友人を乗せて一路、北川君宅へと向かった。北川君は今年1月上旬に肝硬変で亡くなった養護学校の同級生だった。3人で玄関をノックすると、北川君に生き写しの息子が家に招き入れてくれた。仏壇には少しはにかんだ彼の顔写真、その写真が「神戸、よく来てくれたな…」と話し掛けてくるように思えた。

 その日は浜松駅近くの居酒屋で10人ほどが集まってのプチ同窓会。それまで時間があったので、養護学校の恩師である梅林先生宅へと向かう。先生は96歳と高齢ながら元気な姿で迎えてくれた。15年以上も会っていなにのに、私の顔を見るなり「ああ!神戸くん!!」その言葉がとても嬉しかった。他の二人の事は覚えていないようだった。その後、浜松駅でメンバーと会う。養護学校時代の生徒会長だった『本樫』くんに45年ぶりの再開!これもまた感激で胸が熱くなった。プチ同窓会は約2時間で終わり、その後はカラオケへ…。次の日(9月1日)、昼少し前に西鹿島駅に到着。静岡にいた頃は浜松にいる親友の家に遊びに行く時は必ず利用した『遠州鉄道』2両編成の赤い電車が懐かしい。駅で同窓生の先輩が車で迎えに来てくれていた。元看護師の真紀さんも同行して、天竜病院にALS(筋萎縮性側索硬化症)のため、10年前から入院している元看護師の渡辺さんのお見舞いに。渡辺さんは養護学校へ転向して初めて迎えた正月、病棟の殆どの子供たちは冬休みを利用して親元へ帰るが、帰る親のいない私に「神戸くん、もしよかったら私の家に来る?」と声を掛けてくれた人。渡辺さん宅の温かいお風呂の湯加減を今でも覚えている。だから、帰省した時は必ずお見舞いすると心に決めていた。意思疎通の出来ない身体でも私たちの姿を見た時、表情が変わり眼に涙が滲んでいた…。天竜病院から更に上へと登った場所に母校の天竜養護学校(特殊支援学校)がある。中までは入る事が出来なかったため、門の所で記念撮影。私の心の故郷でもある。

 

 

 

高い所が苦手だからと

下から見上げる貴方に

熱い熱い想いのこもった

投げKiss

 

 

※葛西臨海公園に行った目的は先にアップしたポピーではなく、この観覧車。「ダイアと花の大観覧車」は、日本一大きな観覧車と聞いていたので何としてでも撮影したいと思っていた。本来であれば誰かと乗って観覧車を楽しむのだろうが、「乗る」と言う発想は全く思い浮かばなかった。

 日中の明るい内の観覧車はただ大きいだけで被写体としての魅力は感じなかったが、陽が西に沈み、夜の帳が訪れるとその観覧車の表情が一変する。見事にライトアップされた大観覧車がその存在を夜の大空に浮かび上がらせる。私は時間も忘れて夢中でスマフォのシャッターを切りまくった。おそらく観覧車だけで30枚は撮影しただろう。

 時間が20時に迫っていたので帰る姿勢で観覧車を見上げながら歩いていた時、それまで全く気付かなかった観覧車の姿を発見!それは池に映り込むもう一つの観覧車だった。

 

 

 紹介する順番が逆になってしまったが、墓参り(30日)の前に静岡市へ立ち寄った。今回の旅の目的の一つが息子の経営する『パソコンサロンゆうらく』の事務所見学。事務所立ち上げの時も招かれていたが当時の私は心不全を連発し絶不調だった。それから7年、漸くこの眼で息子の事務所を見る事が叶った。

 約束の時間は18時30分、藤枝を発ったのは15時頃だったが、午前中は雷と共に激しい雨に見舞われた。天気予報も一日中雨となっていたのでテンションは下がり気味だったが、静岡市内に入った頃には雨も止み傘を必要としなくなる。約束の時間まで駿府公園などを散策。ところが夕方5時頃になると、なんと青色が空一面に広がり始めた。あれほどどんよりと曇っていた空が誰かを招くように青空をプレゼントしてくれたのだ。

 まさにシャッターチャンス到来とばかりにスマフォカメラのシャッターを切った。私が静岡に住んでいた頃は、駿府城もお堀と石垣しかなかったのだがそれが現在では写真のように立派な城の建物が出来上がっている。現在と過去が混在したこの異空間でひと時タイムスリップを味わう事が出来た。

 息子の事務所では大歓迎を受け、息子の手料理を堪能した。そして一眼レフカメラについて多くの事を学ぶ事が出来た。もう少し時間があれば新静岡と新清水を結ぶ静岡鉄道に乗ってみたかった。10代後半~20代前半まで毎日のように利用した静鉄が妙に懐かしく思えた。

 

 

 

 

夜空を彩る花火の中に

あなたの影が揺らいで見える

浴衣の裾を昨日の雨で

少し濡らした私を

大丈夫?と

小さな肩を優しく抱いた

そのあなたは今

夜空の花火となって

私を見詰めていることでしょう

あの夏の日

二人の絆が途切れた時に

もう花火は見ないと誓ったのに

 

 

※8月3日、4年ぶりに板橋花火大会へ行った。今回は埼玉県側に行き、戸田公園の荒川の岸辺に撮影場所を確保しスマフォを構えてその時を待った。周りには一眼レフに望遠レンズを載せた三脚がずらりと並んでおり、花火の打ち上げを今か今かと待っていた。

 明るい日中と違い、光が十分に得られない夜景、特に花火のように動くものが被写体となれば撮影は難しくなる。手持ちでの撮影はブレてしまう事が多く、やはり三脚は必須。私もスマフォ用の三脚を用意し、シャッターはワイヤレスリモコンを使った。あまり期待はしなかったが、最新のGalaxyS10だけあって意外と綺麗に撮れた方だと思う。

 

 

 8月29日~9月1日にかけて故郷の静岡へ帰省した。急ぐ旅でもなかったので、東海道線の各駅停車に乗り、のんびり車窓の景色を楽しんだ。障害者割引も利用したので東京から藤枝まで1800円と財布に優しい旅となった。だが、東京→藤枝→静岡→藤枝→磐田→浜松→天竜→掛川→東京という過密スケジュール。

 10キロ近い荷物を背負っての移動は決して楽なものではなかったが、懐かしい友人・知人たちに会えるという期待感で心も弾み疲れなど微塵も感じる事はなかった。写真は藤枝での様子をまとめたもの。午前中かなり激しい雨が降ったものの、その後は好天に恵まれ、故郷を満喫する事が出来た。

 

 

 

 

 

新河岸川沿いに仲良く並ぶ丸いガスタンク。もしこれが転がったら!

想像すると怖い。

美しさと恐怖は紙一重なのだろう。

 

※自宅から自転車で高島平方面に20分あまり走った所に「板橋区立熱帯植物館」がある。その直ぐ近くを流れる新河岸川沿いにある巨大な丸いガスタンク。その日は熱帯植物館が目的だったので、日を改めて訪問してみた。

 このガスタンクに夕陽が当たったらさぞ美しいだろうと、頭の中に被写体のイメージを思い描く。カメラの撮影はこの時点で既に始まっているもの。時間を掛けて時の流れを観察するのも撮影の醍醐味である。この見事な夕陽に恵まれた事、そしてそれをカメラに収める事が出来、イメージ通りの構図を与えてくれた太陽と雲と川とガスタンクに感謝!。

 

 

青い空に

ポッカリ浮かぶ

白い雲になり

君の住む街まで

飛んで行きたい

 

 

※埼玉県戸田市にある人工の湖『彩湖』へ行く途中、荒川の水面に映り込んだ雲があまりに美しかったのですかさずカメラを向けた。写真は新河岸川と荒川に架かる笹目橋からのもの。それにしても西高島平駅から歩いて彩湖まで行くと言うのはあまりに無謀と思われるが、地図を見て「これなら歩いて行ける」と判断し実行に移した。

 心地よい風に吹かれ色濃くなった緑の大地を踏みしめながら、そよぐ風景を愉しみカメラに収める。荒川土手ではロードバイクが何台もスピードを上げて私を追い越して行く。いつの日か自分もロードバイクに跨りペダルを漕いでみたいと思いながら彩湖を目指した。この日の歩数は2万4千歩を越えていたが、さほど疲れは感じなかった。次の日には竹芝埠頭へ海と船の撮影に行った。

 

 

※この写真は8月4日、池上本門寺で行われた納涼盆踊り大会へ撮影に行った時の一枚。池上本門寺と言えば、プロレスの父『力道山』の墓がある事でも有名だが、力道山を語る時、どうしても避けて通れないのが父の事。

 父が府中刑務所に服役中だった時、同部屋に力道山を刺した『村田勝志』がいた。父はその本人から『力道山殺傷事件』の顛末を聞き、報道されている内容と食い違う部分が多々あったと言っていた。その日、赤坂のクラブで些細な事で力道山と口論になったが、先に手を上げたのは力道山だったと言う。然も、相当酒に酔っており善悪の判断すら付く状態ではなかったらしい。

 プロレスラーは身体全身が凶器のようなもの、そこに酒が入り平常心を失った力道山は村田さんの胸ぐらを掴むなり投げ飛ばしたと言う。村田さん自身も身長180cm近くあり力道山に負けないほど体格はよかったが、その身体が6,7mほど飛ばされたと言う。闘争本能に火が付いた力道山相手に勝てるはずもないと、村田さんは瞬時に悟り気が付くと鋭いナイフを握っていた。

 父から聞いた話しが事実であれば、これは正当防衛ではなかったろうか?相手は凶器と化した猛獣のようなものである。腹を刺された事が直接の死因ではないが、己の強さに自惚れた結果なのだろう。

 

 

 

あの日 僕は母さんに

会いに行ったんだよ

木町に帰っていると

父から 聞いたから

父は 会いに行って来いと

言ってくれたんだよ

だから 僕は少し照れ臭かったけれど

勇気を出して 行ったんだよ

でもね 母さん 

僕の眼には女の人が三人いて

誰が母さんなのか分からなかった

だから そのまま会わずに戻ったけれど

三人とも母さんに見えたから

少し得した気がしたんだよ

 

 

※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。