徐脈発作と東京タワー。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 この東京タワーは昨年の7月に撮影したものだが、その頃と言えば徐脈性心房細動で緊急入院し、生きるか死ぬかのドタバタ劇を繰り返していた時期。つい最近の様な気もするがペースメーカー植え込みから半年が過ぎ、今はほぼ元気な毎日を送っている。正確に記すと7月22日の朝、前日に撮影した写真をRAW現像しようとパソコンの前に座った途端、いきなりの目眩、頭がクラクラし一瞬だったが気を失ったかも知れない。デスクの角に頭をぶつけた事を覚えているのだが、その前後がどうだったかハッキリしない。自分の身体に異変が置きている事だけは確信したが、連日の撮影で少し疲れたのだろうと軽く考えており、余り気にも止めなかった。
 その日も撮影の予定を入れていたので目眩の事は無視してカメラ機材をバッグに詰めて出掛けた。自宅から駅までの道程で何度も目眩を起こし「ちょっとやばいかも…」とふらつく身体を何とか気力で支え電車に飛び乗った。体調に異変があるのだから止めればよいものを、「撮りたい」と言う気持ちを抑えきれなかった。まるで欲しい玩具を見つけてそれを強請る我儘な子供状態であった。
 東京タワーのライトアップが平日と土日では色が変わる事を今回の撮影で初めて知った。御成門ではなく芝公園で下車し、公園内を散策しつつ時間を潰し暗くなるのを待った。歩いている最中も度々意識が遠のく感じがし、その都度その場にしゃがみ込んで休憩。心不全なら呼吸が苦しくなるので直ぐ分かるが痛みもなく、動悸がする訳でもないのでまさか徐脈発作を起こしているなんて事は夢にも思わなかった。夜の帳が降り始め東京タワーの赤と星の様に輝く電球が夏の夜空に浮かび上がった。待ってましたとばかりに三脚にカメラを固定し、長時間露光撮影を開始。様々な場所から美しい女性の様な脚線美を持った東京タワーを撮りまくった。移動中、何度も気を失いかけていたが、そんな事もおかまいなしでの撮影。「知らぬが仏」とはまさにこの時の状態だった。
 東京タワーと言えばやはり思い出すのは父との事である。以前にも記事で紹介したが、刑務所帰りの父と一緒に帰りの電車の窓から眺めた東京タワーが脳裏に焼き付いている。雨粒が車窓に当たり弾けて流れ落ちる姿が涙の様に思えた。約二年ぶりの父との再会を東京タワーが祝ってくれている様な気がした。そう言えばあの時、私の隣にいた綺麗なお姉さんは、今でも健在なのだろうか?お腹を空かしているだろう事を察して、「これあげる」と優しく幼い私に一切れのパンをくれた女性…。人の優しさに飢えていた子供時代ではあったが、親切な大人たちに囲まれて育った私は決して不幸ではなかったと思う。
 それにしても東京タワーの夜景撮影中、失神しなかったのは運が良かったの一言に尽きる。きっと東京タワーが昔の事を覚えてくれていて、私を見守ってくれていたのかも知れない。