陪審員制度がまもなくスタートを切る。
陪審員は一般市民からランダムに選ばれる為、犯罪、裁判、法律などがわたしたちに一層身近になるわけだ。
しかし如何に法の整備や、裁判の透明性など裁判のあり方に問題提起しても所詮不完全な人間が作りだしたものであり、人間が人間を裁くこと自体無理が生じる。
人間社会では人間そのものがルールである以上、人間の作った秩序が全てである。
これを犯す者は罰せられ罪を償わなければならないが、ある時それが個人の人生を破滅へと導いてしまうことがある。
「冤罪」とい本来ならばあってはならない問題であるが、裁き手が人間である以上間違いは起こるのである。
昨日、林真須美被告に死刑が言い渡された。
和歌山市で起きた毒物(砒素混入)カレー事件は既に10年の時を経て、漸く裁判も終わりを告げようとしている。
最高裁が出した答えは「死刑」だが、この判決について賛否両論が物議をかもし出しているようだ。
つまり、この事件には確たる証拠もなければ、最も知りたい「動機」も以前不明のまま。
事件に巻き込まれた被害者、またはその遺族たちは口々に納得のいかない様子である。
何故このように悲惨な事件に巻き込まれ命まで落とさなければならなかったのか・・・。
真実が明らかになっていない以上、このままで幕を引いてしまうことに嫌悪感さえ示しているのだろう。
林真須美自身は事件について何も語っていないと思われる。
マスコミや報道が山のように押し寄せ、毎日彼女の家とその周りの映像がTVを独占していたが、その影で捜査当局は何を何処まで掴んでいたのか。
裁判とは一体誰の為にあり、誰の為のものだろう。
現状を省みれば、検察、裁判官、弁護士これら法を裁く人間の為に裁判があるように思えて仕方がない。
常に歯がゆく、悔しい思いをするのは我々一般市民だ。
しかしその我々が今度はその罪を裁く側になる。
あなたに真実を見る目はありますか?
人を裁くことは己の心を裁くことでもあるということを忘れてはならない。
