裁判は真実を明らかにするためのものであるが、その内容が全て真実とは限らない。
では、真実とは一体何であろうか?
三浦和義容疑者自殺の報道が新聞紙一面を大きく飾る。それだけ彼の容疑に対する関心が大きく、話題性を呼んだことは確かであった。
「ロス疑惑」と呼ばれた事件は27年前の1981年に起こった。
三浦容疑者の妻である一美さん銃撃事件。この件について真犯人は上がっておらず、1億6千万円の保険金殺人事件ではないかと、当時は思われていた。
日本国内では無罪が確定し、この判決について当時の様子を知る人たちには「疑惑の判決」として記憶に残った。
わたしもその中の一人であった。
まだ30代という若い三浦容疑者の行動や言論が演技に見えて仕方なかったし、妻の遺体を前にして号泣する姿はわざとらしく、全て計算されたかのように思えたものである。
ロサンゼルス市内で起きた事件に対し、ロス市警はおそらく別な角度からこの事件を解決しようとしていたのだろう。
無罪確定から数十年の間にもアメリカの捜査当局は諦めることなく、真実を追い続けていたのである。
三浦容疑者にとってこの再逮捕は致命的なものだったのだろうか?
長い間マスコミや世間を敵に回しながらも自分の無実を訴え続け、そして勝ち取った「無罪」。
これは真実ではなかったのだろうか。
再逮捕された時もやはり昔のように徹底的に戦うと言い続けていた彼の突然の自殺は、一体何を訴えようとしたのだろうか。
本人が亡くなってしまった以上真実はベールに包まれた。そして真実を知る者は亡き一美さんと、三浦容疑者だけであるが、仮に共犯者がいたとすればこの事件に終止符を打つのはまだ早い。
彼の人生を描いた推理小説「ロス疑惑」はいまだ未完成である。
