馬子(孫)にも民族衣装。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

民族衣装 華やかな民族衣装を身に纏ったかわいい子どもたちが会場を沸かし、観衆の眼がその衣装の美しさに見とれながら驚きと感動に酔いしれる。
民族衣装にはその地方の歴史が深く刻み込まれ、各地で暮らす人々の伝統や特色が文化という形のひとつとして残り、現在の服装の原点であると言っても過言ではない。
独自の色彩・デザインは流行の先端を行く現代のファッションデザイナーにとっても、大いに参考になる筈だ。
多民族で構成されている中国がチベット問題などを抱える中で、よく個々まで全ての民族の子どもを集めたものだと感心し、かなり苦労しただろうと思っていたのだが…。
子どもたちの大半が「漢民族」だったとは黙っていれば誰も気付かなかった。
これが単なる「ファッションショー」で、民族衣装の祭典ならばそれほど問題にもならず、誰が着ようと自由だが、世界の代表が集まるオリンピックの式典に「嘘」が紛れ込んでいたのでは偽装と批判を浴びても仕方がない。
おそらく子どもらは、他の民族の正装とも呼べる民族衣装を着ることにそれほど抵抗は無かったと思われるが、民族意識の強い大人だったら、果たして抵抗なく着ることが出来ただろうか。
口パク少女同様、またしても子どもを利用した過剰な演出に愕然とさせられてしまった訳である。
政治色に染まった民族衣装を見てももう誰も心を動かさないだろう。
子どもたちの罪なきかわいさが、これ以上大人の歪曲した欲に利用されるのはもう御免である。