北京五輪を標的にしたテロの怪情報が飛び交う中、華々しく北京オリンピックがどうやら無事に開幕した。北京の夜空に煌びやかな花火が三万発。
NHKのライブ映像を見た人はかなりの数に登ると思われる。
とりあえず妨害する情報は今のところは入っておらず、中国の思惑通りの開会式だったようである。
オリンピックも回を重ねるねごとに目立つのは、その圧倒的なパフォーマンスである。
わたしは途中まで見ていたのだが、飽きてしまい聖火リレーをみることなく、TVを消してしまった。
正直なところ、余りにも華やか過ぎて、この祭典の掴みどころが大きくずれていたような気がしてならない。
目だったのは中国の歴史を紀元前にまで遡り、如何に中国が歴史が古く、様々な発明により世界各国に多くの影響を与えて来た、偉大な国である事を前面に押し出した格好のアピールとなった事は間違いない。
しかしその影で国取り物語に明け暮れていた時代は影を潜め、「和」を最も前面に押し出した言わば、オリンピックの歴史を返り見た時、スポーツを通し、世界の民族が友好を深める絶好の機会としてのオリンピックを前面に押し出しす事に終始力を注ぎ、莫大な資金を使って今までにないオリンピックを成功させようとする中国当局の思惑が見え隠れする開会式だったような気がしてならない。
パフォーマンスそのものは相当な訓練を重ねてきた結果の集大成ではあったが、わたしは最後まで見る気がしなかった。
オリンピックはスポーツを通した平和の祭典、或いは、世界の民族の祭典とも取れるが、文明を築いた民族の祭典に過ぎない。
地球上にはオリンピックすら知らない、関係のない民族も多数存在している。
地球温暖化に対する「鳥の巣」と称したスタジアムは破壊されつつある自然を取り戻すための小細工に過ぎない。
文明を築いた国の人間だけが、民族ではない。地球上の至るところに残る秘境の地には、現代の文明を拒否するが如くに自然と共存している部族がいることを忘れてはならない。
先進国が築いた文明が自然を破壊し、未開の地にまで足を踏み入れることが果たして、地球環境の保護と言えるだろうか。
北京五輪の会場は選手団もかなりリラックスした表情を見せてはいるものの、内心は果たして如何なものか。
会場の外では中国の軍隊が戦場の如く、テロリストたちからの不気味な警告に戦々恐々としながら、会場をガードしていることだろう。
「戦場のピアニスト」「戦場のメリークリスマス」などと言った名作映画もあったが、まさしく北京は戦場のオリンピックと言っても言いすぎではないだろうと思う。
開幕した以上何事もなく無事に終わって欲しいと思うのが本音である。
今回の北京オリンピックを一言で表すとすれば、「世界に向けた中国の豆まきである」。