入院日が決まりました。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

オペ 皆さん、漸く入院日が決定しました。自分の立てた予定では15日だったのですが、余りにも病院から連絡が来ないので忘れているんじゃないかとこちらから電話を入れました。1月29日か31日と言われました。受け入れ拒否されたらどうしようなんて心配しましたよ。\(^o^)/
少しでも早い方が良いと思って29日に決めました。
朝9時~10時までに入院受付に行きます。そう言えば1回目の手術の時。当時19歳でしたが、紙袋に入院に必要な物を詰め込んで一人で行きました。手術するしないの判断は相談する人もいなかったので、自分で決めました。
静岡市立病院の心臓センター、新しく出来たばかりの門を潜り、外来へ行くと看護婦さんが妙な顔つきで声を掛けてきました。「神戸くん、入院今日じゃなくて来週の火曜日よ」「……」。
わたし一週間間違えてしまったのです。今でもその時の光景が浮かんで、とても懐かしい思い出になっています。
3回目の心臓手術を告げられた時のショックはかなり大きく、ボディブローのように後になってじわじわと死への予感となってわたしの精神を襲いました。
またも肋骨を切り裂き、内臓を外気に晒し、傷だらけの心臓にメスが入る。どれだけ時間が掛かるのかそれさえも定かではなく、命の保証もない手術台に上がるのです。
天国の地図の冒頭の詩は「手術台に上がれば」またこの詩と同じことを考えてしまう。そんな自分が情けなくも思え、家族が在るのにこんな弱気でどうすると、この一ヶ月考え続けて来ました。
皆さんからの励ましの言葉を頂き、前向きに生きようと思いつつも、やはりわたしもか弱い人間の一人なのです。20年前の三井記念病院は戦場そのものでした。心臓疾患を抱える多くの患者が、一人の天才心臓外科医の下へと毎日日本中から押し寄せるのです。
20年の歳月はわたしにとって奇跡が産み出した年月。ここまで生かしてくれたのは家族やそして善意のある人々のお陰。医師や看護師、近代医療あってのわたしの生命。
神から頂いた寿命が尽きるまでわたしは生きる。生きなければならない。元気になって鋼鉄の心臓を手に入れ、家族の下へ、そして応援してくださる皆さんの下へ戻らなければいけないと思います。
みなさん、暫く時間を下さい。ブログ更新が何時になるのか分かりませんが、このブログに生命の灯をともすまで待っていて下さいね。