代理母出産がビジネスになる日。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


代理 アメリカはよい意味で自由の国と言われているが、何事も許される訳ではない。向井亜紀、高田延彦夫妻が訴訟を起こしていた裁判に判決が言い渡され、その結果実子とは認められなかった。その心境を記者会見で語っていたが、亜紀さんの表情に笑顔は見えるものの、無念と怒りそして悲しみにくれていた。科学や医学が急激に進化している影で、法律がそのスピードに追いつかず充分な論議がなされないまま、現場だけが先走りしている状態が続いている。過去に死の定義について臓器移植に基づく議論が各界の著名人を織り交ぜて話しあわれたが、脳死を人の死と位置づけるのかが話題になった。脳が死ねばそれは紛れもなく死なのだろうか?人間の身体は全て脳によってコントロールされているようだが、脳の意志とは関係がなく動いている臓器が心臓である。心臓は自ら発する微弱な電気信号によって動き続ける。脳が死んだ後も何らかの処置をすれば果てるまで動く。だから死は実に曖昧な定義によって理解されている。医学、科学の進歩は必要ではあるが、時としてそれが神の領域に達する場合もある。神の領域とは自然の摂理であるが人間の欲望は果てしなく、クローン人間、遺伝子組み換え植物など未知の領域で実験が繰り替えされている。代理母出産や臓器移植などは、アメリカが最も早い時期から着手しているが、日本国内では法律の準備が整わず、心臓移植などについては多額の募金を募り、渡米して移植を行い命の継続が保障される子どもたちがいる。しかし代理出産或いは臓器移植にしても表面には現れない闇の部分がある事は間違いないだろう。一時国内で話題になった腎臓移植、臓器を金で買う紛れもないビジネス。そしてこれらにもブランドがあるということ。健康な臓器ほど高く売れる。代理母出産に関しても同じ事が言えるだろう。妊娠や出産にはリスクがつきまとうもので、場合によっては死に至るケースもあり、契約金の交渉時にはその保証料も含まれる。出産は女性だけに与えられた特権だが、ある事情によりその特権を奪われてしまう場合も多々ある。子どもを欲しくても産めない苛立ちは夫婦間に亀裂さえ生じさせてしまう時もあり、自然が与えた試練にしては余りにも酷である。僅かな望みを抱きながら病院の門を叩き、今度こそはと期待と不安が交錯した中で不妊治療を繰り返し、通院を続けるのである。望みさえ絶たれてしまった夫婦にとっては諦念とも言える孤独を味わう結果となるが、産むことが全てではない。もちろん自分の血が通った分身に越した事はない。しかし子育ては別である。血筋にこだわらなければ、世の中には親を欲しがる子どもは多くいる。出産と子育てを混同して捉えてはいけない。産むことなら丈夫な身体さえあれば誰でも可能。しかし子育ては親になるという人生において最も価値のある事なのだと思う。アメリカでは既に代理母出産はビジネスとして存在しているが、その背景には様々なトラブルや人種差別などの問題が重くのしかかっている。白人と黒人を比べた場合、黒人女性は白人女性の半分の金額で代理母出産が可能となる。もし仮に貴方が代理出産を希望した場合この両者のどちらと契約を結ぶだろうか。生まれてくる子どもにはどんな方法にせよ責任はない。子どもを巡り大人たちのエゴだけがぶつかり合っているようでは、生まれて来た子どもに本当の幸せは果たして訪れるのだろうか。