スーダラ節よ、さようなら。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


植木等 昭和の時代を象徴する人物がまた一人消えて行った。昭和30年代に入り日本は高度経済成長へと、付き纏う戦後の亡霊を振り払うが如くに一つの目的を目指し成長して行った。サラリーマンがタイムカードに一日の自分を記憶した時代。初々しさと恥ずかしさが入り混じった集団就職の列車が金の卵たちを乗せ上野駅に到着する。活力の溢れた昭和が懐かしい。クレイジーキャッツが全盛期でテレビではシャボン玉ホリデーが人気番組だった。今の様な録画番組は少なく、殆どが生放送。てなもんや三度傘、お笑い三人組みなど等。母方の祖母が「布施明」の大ファンであった。それもその筈、息子の竹男(わたしの叔父)が布施明そっくりだったので、シャボン玉ホリデーにゲスト出演している彼の映像を食い入るように見詰めていた。番組のラストではハナ肇が人気双子歌手のザ・ピーナツが歌う「スターダスト」の中で番組を振り返るのだが、最後に肘鉄を食らうそのエンディングが面白く、わたしもお気に入りの番組だった。植木等のコントも最高でそれが今の志村ケンを生み出したとも言えるだろう。わたしは一度だけクレイジーキャッツを生で見た事がある。しかし記憶の片隅を掘り起こしても植木等の顔は浮かんで来ない。祖母や叔父さん達と一緒に静岡市の駿府会館へショーを見に行った時の事。わたしはまだ小学生にも満たない頃だった。超満員のステージには煌々とスポットライトが当たり、異様な興奮と観客が投げるテープが踊り狂っていた。ほんの断片的にしか思い出せないが強烈な印象として今でも脳裏に焼きついている。竹男叔父さんは中学を卒業すると同時に、母(わたしの)を追って福島へ行き小さな町工場へ就職した。そしてその一年後には帰らぬ人となった。僅か50ccのバイク、スーパーカブに跳ねられ即死だった。僅か16歳でその生を終えた叔父さん、わたしを弟のようにかわいがってくれた。母も父も叔父、叔母さんたちは何れもわたしより遙か若くしてこの世を去っている。わたしはその分寿命を頂いて病気ながらも生きていられるのは、早くして亡くなった身内のお陰かも知れない。ちょいと一杯の積りが、いつの間にかアル中になってしまい肝硬変で亡くなった父を植木等の歌にだぶらせてしまう今日この頃である。